2 名前:豆男 ◆X5HsMAMEOw 投稿日:2006/09/10(日) 16:57:59.81 ID:uZKb4BQP0
ブーンがセイント(聖者)になったようです。

プロローグ「神様の存在」


神様はこの世にいると思いますか?
と問い訊ねられたなら、貴方はなんと答えるだろうか。

神様なんていう概念自体が間違っているのだと、何処かの宗教家以外の人間ならそう思うに違いない。
それはそうだ。神なんて存在は、弱い人間が作り出した寄辺でしかない。
仮に神なんて存在がいたとしたならば、世界のゴミに該当する人間なんて当に滅んでいると想定して良いのではないか?

だってそうだろう。
兵器だの何だのを使って自然をことごとく打ち砕き、他の動物を自然界から追いやり。
それなのに、労わりの精神だか何だかっていうものを主張して、自分が善だと思い込んでいる阿呆もいる。
愛が世界を救うだの何だの? そんな馬鹿げた事があるものか。
……と、僕は心の中で度々思うのだ。

神様は、大抵の書物では人間同士の争いごとが嫌いなんていうイメージで出てくる。
それを見かねて、制裁するとか、そういう類の書物は今までに何冊も読んできた。

だが、そんなのも人間が作り出したお話でしかない。
神様がいたとしても、人間なんかには無関心じゃないのか?
神様が世界をどうにかしようって言うのは、神様が世界を作成、もしくはそれに何らかの形で関与した場合に限られる事ではないか?
これがどうしたと言うその答えは、個人の持つ神というイメージを形作る概念が、それぞれ違うと言う事だ。

3 名前:豆男 ◆X5HsMAMEOw 投稿日:2006/09/10(日) 16:59:50.79 ID:uZKb4BQP0
あ、でも、人間って窮地に立たされたときは、神様に助けを乞うよね。
そういう意味では、全ての人間が神様を信仰しているのかもしれない。



さて、話を少し変えよう。
かつて神様がいたという伝説が、今ではこの世界に広まっていると言う事について、だ。

おかしいと思うだろう? 僕は少なくともそう思う。
それに対する確実な根拠も、今のところは無いようだし。
だが、一部の宗教家どもが妄信するだけではなく、国民の半分近くがそれを信仰しているというのが驚きだ。
今では神様の影響は政治経済にも大きく関わり、信者の団体を刺激するような事があれば急激なインフレーションも起こりかねない。

その団体の名前は、『トリーシャ教』。
トリーシャ様の教えを説く会、という意らしい。そのままだな。
ちなみにトリーシャ様と言うのは、そのお偉い神様の名前である。名前の響きから分かるかもしれないが、女神だ。
そのトリーシャ様が何故ここまで信仰されるのか? それに至っても理由がある。

4 名前:豆男 ◆X5HsMAMEOw 投稿日:2006/09/10(日) 17:01:09.11 ID:uZKb4BQP0
果てさて、ここで事は数千年前にまで至る。
世の中は安定しており、今とは違う均整な世界がそこにはありました。

しかしある日突然、何処からともなく闇が現れました。
闇は瞬く間に世界をすっぽりと覆いつくし、日の光さえ隠してしまいました。
おかげで作物は育たなくなり、町を照らす電気にかかるお金もバカにならない。
人々は次第に混乱し、世界には恐慌が起こりました。

そんな時、一人の田舎出身の娘が立ち上がりました。
彼女は毎晩神に祈りを捧げ、世界の救済を乞いました。
その祈りのかいあってか、気付いた時、彼女は女神となっていたのです。
女神となった彼女は闇を振り払い、人々を救済しましたとさ。


これは、僕の教科書に載っている神話を簡略したもの。
中途は省略しているが、物語の大まかな筋だけを語ればこれで十分だろう。
要するに、トリーシャはその深い信仰により女神となり世界を救済した。
世界を覆った闇の詳細などについては一切不明。一説では、暗黒の魔王(?)の仕業とも言われている。
とりあえず、トリーシャはこれを女神なる力で吹き飛ばした。
女神様の事は、大体こんな感じだ。

5 名前:豆男 ◆X5HsMAMEOw 投稿日:2006/09/10(日) 17:02:12.10 ID:uZKb4BQP0
さて、物語にはもう少し続きがあってだ。
これはトリーシャの死後の話である。

トリーシャの死後、彼女を信仰していた人々は嘆き悲しみ、彼女の生きていた証を作ろうとした。
最初のうちはブロンズやシルバーの像を作るだけに留まっていたが、狂信者はそれで満足しなかった。
そこで発足したのがトリーシャ教。彼女の教えを後世にも残そうと、狂信者達が作ったのだ。
そのトリーシャ教が現在までも残り続け、人々の寄辺になっていると言う事らしい。



最初にも言ったが、僕は神様なんて存在は信じない。
だから、トリーシャなんて神様がいるのも嘘っぱちとしか思っていない。

故に、僕は時々この修道院で神学を学んでいるのを不思議に思うことがある。
僕が修道院にいる理由こそがトリーシャ教が愛される理由でもあるのだが、今では少しそれに不服もある。

トリーシャ教は、道を失ったものに手を差し伸べる。
つまり、孤児やそれに等しいものに生活を提供するのだ。
その代わりに、世話を見る人間には必ず神学を学ばせると言う律儀さ。
僕も、そんな犠牲者の中の一人である。

6 名前:豆男 ◆X5HsMAMEOw 投稿日:2006/09/10(日) 17:02:44.99 ID:uZKb4BQP0
だが、僕にもある日、転機というものが訪れた。
これは、僕の人生のターニングポイントになった出来事といって過言ではない。
神を信じていなかった僕が、信じざるを得なくなった出来事。
それはあまりにも衝撃的で、当時の僕にとっては辛いことでもあった。


現在は暇なので、ここに少し思い出を書き残しておこうかと思う。


                                 〜大神官ブーンの手記 序章より〜
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