5 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:12:26.42 ID:tUPuAdJz0
【Eighth Color : Gray】


「何でだ!? お前何か知ってんだろ毒尾!?」

 長岡の表情は険しくもあり、戸惑いを隠しきれないようでもあった。
 あまりに突然の退学。学年中がその話題に染まりきっていた。

「辞めた理由? 分かんねぇ」
「嘘つくなよ! 何かあったんだろ!?」
「別に。俺にはもう関係ない」
「何だよ……俺にも言えないことなのか……?」
「何でもないってば。もういいだろ、アイツのことは」

 長岡から視線を逸らし、体を回転させる。
 後ろからまだ長岡が何か言っているのが聞こえたが、無視した。
 誰かに明かしたい、とは思わなかった。

 その後も、教室にたどり着くまでに、何人にも声をかけられた。
 顔も知らないようなやつばかりだ。
 異口同音に椎野のことばかり聞いてきて、また辟易させられた。
 そこまで他人のことを知りたがる理由を教えてほしいくらいだった。
11 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:16:37.41 ID:tUPuAdJz0
 教室に入って、やっとそれなりに落ち着いた。
 気を遣われているのかどうか分からないが、誰も話しかけてこない。
 ありがたかった。

(……辞めた理由が分からないのは、嘘じゃないしな……)

 引き金を探すなら、先週の屋上での出来事以外ありえない。
 だが、あれは辞めるほどのことか。俺に会いづらいのは分かるが、クラスも違うのだし、避ければ良いだけだ。
 わざわざ退学までする必要はない。

(夏休みまであと一週間だぞ……せめて夏休みになってから辞めりゃいいのに……)

 椎野の顔が思い浮かび、すぐに消えた。
 その表情までは分からない。確実に、椎野が、薄れつつあった。
 少しずつ、白が混ぜられる絵の具のように。
 こうやって、いずれ忘れられるだろう、と思った。

(……内藤も、居ないのか?)
13 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:21:21.19 ID:tUPuAdJz0
 そう不思議なことではないが、内藤は休んでいた。
 担任によれば夏風邪らしいが、かなり適当な嘘だ、と思った。
 俺に会いたくないのか、椎野と二人で相談でもしているのか。
 どちらにせよ、恐らく夏休みまでに学校に来ることはないだろう。
 そのほうが自分的にも助かった。


 そして、一週間が過ぎ、夏休みに突入した。
 夏の日々は色褪せるどころか更に深まり、その過程で椎野を思い出しもしたが、深く考えないようにした。
 気ままに日々を過ごすだけで、心は満ち足りる。たゆたっているのは否定できないが、仕方のないことだ。

 熱を得ることはなく、汗もかかない左手。
 ほとんど鳴ることのない携帯。
 可愛げのある声も響かない両耳。一つしか残らない足跡。
 全て、当たり前だ。
 何も問題はない。このまま、日々を消化していける。
 未来を、踏み潰していけるはずだ、と思った。


 揺らぎが減って、沈着しかけた心。
 それを乱したのは、突然の来客だった。
16 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:25:54.62 ID:tUPuAdJz0
 8月8日。
 いつもと同じような夏空が広がっていて、いつもと同じような夏風が吹いていた。

「修哉。友達が来たぞ」

 昼過ぎの出来事だった。
 母親が不在のため、父親が部屋まで俺を呼びに来た。その時点で、違和感があった。

「……誰?」
「知らないな。女の子だ」

 ベッドから飛び起きた。
 大きく音を立てて階段を急ぎ下りる。
 玄関の扉に倒れ掛かるようにして、慌てて扉を開けた。
 しかし、開ける前から、分かっていたような気もする。

「……津出さん……?」
「久しぶりだね、毒尾くん……」

 白いキャミソールに、黒のフレアミニ。
 ウェーブのかかった髪の毛は、心なしか、前より落ち着いて見える。
 津出が、あまりに悲しげな表情を浮かべながら、そこにいた。
 心の色が、複雑になりつつあった。

「どうしたの、いきなり……ってかよく俺の家分かったね……」
「荒巻くんに聞いたの……ちょっと、直接話したいこと、あったから……」
「直接……?」

 話したいだけなら、電話番号かメールアドレスを聞けば済む話だ。
 津出の家とここは数駅分離れており、決して近いとは言えない。特別な用がある、ということだろう。
24 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:30:46.84 ID:tUPuAdJz0
「……内藤と連絡が取れないの」

 白い携帯が太陽の光を照り返している。
 切なげに、それを右手に握り締めていた。

「しぃちゃんが学校をやめた……一週間くらい前までは連絡取れてたけど、でも絶対会ってくれなかった内藤……そして、今は連絡も取れない……」

 悲しげ、切なげ、そして、怒りに近づく表情。
 恐らく、無意識だろう。俺に怒りをぶつけても、どうしようもないことは分かっているはずだ。
 しかし、ぶつけどころがないのだろう、と思った。

「二人のこと、考えたら……毒尾くんしか、思い浮かばない。何か、知ってるんじゃないの?」

 津出には、何も話していなかった。
 全てを話すべきだろうか。津出のためを思うと、何も言わないほうが良い気もする。
 そして自分自身、あの出来事を口にしたくない思いがあった。

「……内藤と連絡取れてた、って……内藤は、普通だったの?」
「うん……特に変わった感じはなかったよ……夏風邪が長引いてキツかったらしいけど……」
「でも、会おうとはしなかった……か……」
「遊ぼう、って言ったけど……風邪をうつしちゃいけないから、って……」

 一ヶ月近くも夏風邪という嘘を貫くのは苦しいだろう、と思った。
 それを疑っているからこそ、津出は直接会いに来たのかも知れない。
27 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:34:45.36 ID:tUPuAdJz0
「ねぇ、何か知ってるんでしょ!? もし内藤のことは知らなかったとしても、しぃちゃんのことは絶対に!」
「……大したことじゃないよ」
「何でもいい! 何でもいいから話して!」

 息を吐いて、津出を家の中に入れた。
 隣に立った津出からブルガリの香水の匂いが漂った。
 比較的好きな匂いだ、と思った。


 部屋に招きいれ、そして、津出に全てを話した。
 忘れかけていた記憶まで掘り出し、嫌悪感が身を包んだが、耐えた。津出に言ったところで、どうしようもない。
 何より、今の津出はそんなことまで気にする余裕はないだろう、と思った。

「……内藤が……しぃちゃんと……?」
「あぁ……信じられないだろうけど……」
「……あの二人が仲良いのは知ってた……でも、まさか……まさか、そんな……!」
「内藤と連絡が取れないってのも、多分その関係じゃないかな……ちょっと前まで連絡取れてて、最近いきなり取れなくなった、ってのはちょっと分かんないけど……」
「……内藤……」

 津出が顔を手で覆った。
 鼻をすする微かな音も聞こえた。


 暫く津出は顔を見せることがなく、手を下ろしても、涙は乾いていなかった。
 軽めの化粧が落ちるのも気にせず、ひたすら床に雨を降らせる。
 エアコンが動く無機質な音だけが響いていた。
32 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:39:21.87 ID:tUPuAdJz0
 一時間以上もそうしてから、ようやく津出は落ち着き、普通に話せるようになった。
 津出の声が表現するのは、内藤との楽しい思い出、内藤への愛、そして憎しみ。
 切々と語られる言葉の一つ一つに深みが感じられた。
 夕刻に達するまでひたすら津出の言葉が空間を埋め尽くし、太陽が朱色へと姿を変え、そして沈んだことに気づいて、ようやく口の動きは止まった。

「今日はありがとう、毒尾くん……」

 19時を数分過ぎて、津出は用事のため家に帰ると言った。
 沈んだ表情は変わらないが、それでも最初に比べれば良くなったように見えた。

 駅まで送っていくため、二人で並び歩いていた。
 ちょうど、椎野が初めて俺の家に来たときのように。
 あのときと違って、雨が降る気配は全くなかった。

「もし内藤から連絡とかあったら……私にも知らせてほしいの……」
「うん、分かった……約束する」
「ありがとう」

 そう言って、津出は俺の頬に唇を接させた。
 驚きで、思わず後ろに倒れこみそうになった。
37 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:43:56.21 ID:tUPuAdJz0
「毒尾くん、優しいね……なんか、ドキドキしちゃってるなぁ……」
「そ、それは俺のセリフだって……」
「だってドキドキしてるんだもん……とにかく、内藤から連絡あったら……よろしくね」

 そう言って、駅の改札をくぐっていった津出。
 波打った髪が、足早に去る津出を包むように揺れていた。

(……寂しさ、だろうな……)

 気持ちは痛いほどよく分かった。大事な人に、裏切られる辛さ。
 恐らく、その隙間を埋めようとして、自然に俺へと好意が向けられたのだろう。

(津出か……)

 椎野とは違った可愛さを持った津出を、頭の中に思い浮かべた。
 そのとき、だった。


 内藤から、電話がかかってきた。
43 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:48:40.03 ID:tUPuAdJz0
 まさに、津出と別れた瞬間。
 携帯が震えている。五回、そして六回。八回を数えても、まだ取らなかった。いや、取れなかった。
 何故か、怖さが指先を支配している。携帯を持つ手が震える。

(何もビビることはないんだ……普通に取ればいいだけだ……)

 携帯を開き、ボタンを押した。
 その瞬間は、何も聞こえなかった。内藤はどうやら静かな場所に居るらしい。

『……どうしたんだ、内藤』

 返答は何もなかった。
 駅から離れて、少しでも静かな場所へと向かう。
 内藤が何かぼそぼそと言い始めたが、全く聞き取れないからだ。
 駅近くの公園へと駆け込んで、息も絶え絶えになりながら、ようやく落ち着いた。
 公園を囲む木々にしがみつく蝉が鳴いているが、さほど気にならない程度の音だった。

『何だ? 全然聞こえない。もっとちゃんと喋れ』

 しかし、内藤からの返事はない。
 一体なんなんだ、何がしたいんだ。怒りが膨らみ始めた。

『久しぶりに連絡してきたと思ったら、一人でぼそぼそと……ふざけてんのか? それにお前、ちゃんと津出さんに連絡しろよ。ってか……騙してたこと、津出さんに謝れよ』
『その話は……今は、どうでもいいお……』

 初めて聞き取れた言葉で、苛立ちは頂点に達した。
48 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:54:02.13 ID:tUPuAdJz0
『バカにしてんのか? 今はどうでもいいだと? ふざけんな!!』
『どうでもいいお! 全部お前の勘違いだお!!』
『今更何言ってんだ!! 勘違いだと? じゃあ全部否定してみろよ!!』
『いくらでもしてやるお……今なら、全部……全部否定してやるお!!』

 体が竦んだ。
 全部、否定してやる。その内藤の言葉に、熱と力がこもっている。
 あれだけバカばかりやっている男の、真剣みが、俺の体を貫いた。

『ブーンとしぃちゃんは付き合ってなんかないお! 昔も、今も……中学のときは手を繋いで一緒に帰ってたけど、でもそんなんじゃないお!』
『じゃあなんで手なんか繋いでたんだよ……普通じゃねぇだろ』
『しぃちゃんの癖だお……誰とでも手を繋ぎたがるんだお……ブーンも嫌じゃなかったから、手を繋いでたお……』
『中学のときはそれでもいい。でも、あの屋上のとき繋いでたのは何だったんだよ。俺と付き合ってたんだぞ?』
『しぃちゃんは不安だったんだお……あの時、前日にしぃちゃんが早退して……メールの相手を聞かれて……毒尾に疑われてるのが怖かったんだお……だから、つい手を繋いじゃったんだお……』
『あのときのメールの相手はお前だろ? ちょうど休んでたもんな』
『違うお……あのメールの相手は……あのメールの相手は……』

 内藤が言葉に詰まっている。
 何故か、涙交じりで。

 そして、放たれる言葉。
60 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 22:59:03.96 ID:tUPuAdJz0
『……あのメールの相手は……医者だお……』

 静寂を、風の音が表現した。
 蝉の鳴き声すら、響かない。夜の帳が下りて、孤独感に包まれた公園のベンチで、俺は、動けなかった。
 硬直した体が、物のように、ただそこに転がっていた。

『……は……? 医者……?』
『何もかも……何もかも、そのせいだお……二ヶ月前、しぃちゃんを襲った病気のせいだお……』
『何言ってんだ……? 椎野が……病気……?』
『世界でも症例のない病気……原因も、何も分からない……どうしようもない……そんな病気で……』

 はっきりと、嗚咽が伝わってきた。
 俺は、ただ呆然と、内藤の言葉を聞いていた。

『そんな病気に……しぃちゃんは……かかって……しぃちゃんは……しぃちゃんは……!!』

 騒がしいほどの静穏が、通り抜けた。
 今ならこの耳が一生聞こえなくなっても後悔しない、と思えた。


『しぃちゃんは……死ぬんだお……』


 大人しかった蝉が、一斉に鳴き始めた。
 今まで積み重ねた全てを、打ち壊すかのように。
64 名前:第8話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/09/10(日) 23:00:04.90 ID:tUPuAdJz0
 蝉の命は短い。
 ふと、そんなことを考えた。



















 第8話 終わり

     〜to be continued
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