2 名前:第6話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/31(木) 21:15:17.62 ID:Z0CG3DCx0
【Sixth Color : Yellow】


 津出が走り去った道程を辿って後を追う。
 国道から少し離れるだけで、閑静な住宅街が顔を覗かせた。

 内藤と津出は、家々の廂間で向かい合っていた。

「あのね、内藤……勘違いしてたら困るから言っとくけど……毒尾くんとは、さっきそこで会っただけで……」

 一瞬、津出が何を言い出したのか分からなかった。
 しかし、冷静に考えれば、至極当然の言葉だと理解できた。

「内藤に内緒で会ってたとか……そういうんじゃないからね……?」
「わ、分かってるお! 疑ってなんかないお!」
「ホントに……? だって内藤、いきなり逃げ出すから……」
「それは……と、特に意味はないお! ちょっとびっくりしただけだお……」
「そっか……それならいいの……」

 津出が内藤に寄りかかった。
 俺が見ていることには、二人とも気づいていないようだ。

「……ツン……」

 内藤が、津出を愛称で呼んで、互いに顔を近づけた。
 これ以上見ているべきではないのだろう、と思い、背を向けて歩き出す。
5 名前:第6話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/31(木) 21:19:44.61 ID:Z0CG3DCx0
 街の雑踏に紛れて駅へと向かう。
 片側三車線の国道を車が往来し、汚い息を吐き出していた。
 視界がぼやけるのは、排気ガスのせいか、暑さが生んだ陽炎のせいか、それとも心を低回する疑問のせいか。
 このまま、不透明な未来を進みたいとは思わなかった。


 翌朝、椎野と朝の電車で会っても、気分は沈んだまま浮かんでこない。
 答えなど出ないと分かっていても考えてしまい、そのせいで夜眠れなかった。
 いつもなら自然に会話できているのに、今日は言葉も頭に浮かばない。
 椎野にも、それを感じ取られてしまったようだ。

「ドっくん、疲れてるね……テストきつい……?」
「いや、そういうんじゃないよ……ちょっと寝不足なだけ……」
「眠かったら無理しないで寝てね……学校着くまで時間あるし、駅に着いたらちゃんと私が起こすから……」
「ありがと……でも大丈夫だから……」
「そっか……」

 会話が途切れた瞬間、椎野の携帯が震えた。
 慌てて取り出し、携帯を開く。

「ちょっとゴメンね……」

 素早くメールを打ち始めた。
 椎野から視線を逸らし、窓の外を流れる景色を眺めた。
 足早に通り過ぎる町並みはもう見慣れてしまい、新鮮味は失われている。
 慣れは、恐ろしかった。

(……可愛いな……)

 椎野の横顔を見て、心の中で呟いた。

6 名前:第6話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/31(木) 21:24:40.98 ID:Z0CG3DCx0
 長く伸びた睫毛がふわりと上を向いていて、瞬きしても崩れることはない。
 薄ら紅い唇は今にも弾けそうなほどの含みを保っている。
 明媚な輝きを放つ瞳は、陽光を受けて更に煌きを増していた。

 いつか、慣れるのだろうか。
 これといった欠点が見つからず、女としてはほぼ完璧なまでの条件を揃えている椎野。
 しかし、いずれは慣れてしまい、何とも思わなくなるのか。
 この高揚も、一過性のものなのか。

(これから……一体、どうなるんだろうな……)

 突き刺さったままの楔は多くある。
 抜けるのかどうかも分からないまま、心の中に居座られている。

 いずれ全てが分かる日が来るのだろうか。
 それとも、抜けない楔を引きずったまま、日々を過ごすことになるのか。

 揺れる電車に身を任せ、少しだけ眠った。


「ドっくん、あのね……」
「ん?」

 電車を降りて学校へ向かう。
 学生が多く歩くアスファルトの上で、椎野は沈んだ表情を見せていた。
8 名前:第6話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/31(木) 21:29:31.76 ID:Z0CG3DCx0
「私……今日、早めに帰らなきゃいけないんだ……」
「早め?」
「うん……ちょっと用事ができちゃって……二限目の途中で帰るつもり……」
「そっか……分かった」
「一緒に帰れなくてゴメンね……」
「いや、別に良いよ……仕方ないことなんだろうし……」
「うん……」

 しかし椎野は、申し訳なさそうな表情を崩すことはなかった。

「じゃあ……テスト頑張ってね」
「うん」

 2組の教室の前で椎野と別れ、廊下を歩く。
 テストが始まるまでの僅かな時間で必死に勉強する学生が廊下にも多く居た。
 間隙を縫うようにして、自分の教室へと向かい、4組の扉を開く。
 音を立てて中に入るも、こちらを振り向く者は一人もいない。勉強に没頭していた。

(……内藤、居ないな。休みか?)

 机に鞄も置いていない。あいつは家が遠いわりに来るのが早いが、この時間になっても居ないということは、恐らく休みだろう。

(……テスト期間なのに……休み、か……)

 何故か、心がざわめいた。

9 名前:第6話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/31(木) 21:34:07.32 ID:Z0CG3DCx0
 二限のテストを終え、真っ先に教室から出て帰ろうとしたが、先生に呼び出されていたことを思い出し職員室へ向かう。
 担任に進路についていくつか質問され、適当に答えるも、話は長引いた。
 二十分ほど経ってようやく解放されたが、担任はまだ話したがっていた。

(話が長いんだよなぁ、アイツ……簡潔って言葉を知らないんだな、きっと……)

 今度こそ帰ろうとしたが、明日のテスト科目である数学のノートを教室に忘れたことに気づいた。
 面倒さを感じながらも、重い足取りで教室へと歩を進める。

 途中通った3組の教室に、男が一人居たのが、眼に留まった。

「長岡、一人で何してんだ?」
「ん? 毒尾か」

 教卓の上に積まれたノートを整える長身の男。
 細身ながらも筋肉はしっかりついており、スポーツマンらしさが漂っていた。

 長岡とは一年のときクラスが一緒で、行動を共にすることが多かった。
 軽妙なノリが女子に受けて、クラスの中心的な存在だったが、何故か俺と気が合った。
 互いに気楽に話せる間柄で、二年になってクラスが別れたときは落ち込みもした。

「現代文のノートだよ。職員室に持ってかなきゃなんねーんだ。メンドっちいけどなぁ……」
「まぁ、しゃーないな……」
「だな。それより毒尾」

 教卓から離れ、俺のほうへ近づいてくる長岡。
 俺も数歩近づき、会話しやすい距離になった。
11 名前:第6話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/31(木) 21:39:52.71 ID:Z0CG3DCx0
「お前、しぃと付き合ってるんだよな」
「……まぁ、一応」
「スゲーよなぁ……しぃってさ、明るくて、どんな奴にでも同じ態度で接するから、男人気めちゃくちゃ高いんだよな……まさかお前がゲットするとはなぁ……」
「俺も意外だったよ、ホント……」
「だろうなぁ……っていうかみんなビックリだよ、ホントに……あれだけ告白を断り続けてきたしぃが、毒尾でオッケーするとは……」
「断り続けてきたのか?」
「一年のときはな。俺が知ってるだけでも8人玉砕してるな……そのせいなのか知らんけど、二年になってからは全然っぽいな。みんな諦め気味だったからな」
「へぇ……そうだったのか」
「それにしても、毒尾……まさか毒尾が……」

 嘆息を吐き出して、明らかに納得のいっていない表情を見せる長岡。
 俺を恨んだりはしてないだろうが、軽い嫉妬などはあるのかも知れない。

「いや、まぁお前は良い奴だからな……多分しぃもそこに惹かれたんだろうな……」
「告白する日まで一回も喋ったことなかったけどな……」
「マ、マジか……? じゃあ、見た目か……? 毒尾の見た目かぁ……」
「俺よりカッコいいやつなんて、いっぱいいるのにな。不思議なもんだよな……」
「いや、でも前はブーンで、今回は毒尾……しぃは多分ちょっとカッコ悪いくらいのほうが」
「ちょっと待て」

 引っかかった。
 何事もなく素通りしかけた言葉。しかし、確かに引っかかった。
 恐らく、楔に。

12 名前:第6話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/31(木) 21:44:53.70 ID:Z0CG3DCx0
「前は、内藤? どういう意味だ?」
「……ん?」

 長岡が不思議そうに首を傾げる。
 そうしたいのはこっちだ、と思った。

「……あぁ、そうか」

 相変わらず、口調は軽かった。
 ごく普通に、長岡は言葉を続ける。

「知らないのか……知らないだろな……俺としぃとブーンって同じ中学だったから、俺は知ってるけど……でも、俺の中学から来てるやつって5人くらいしか居ないからな……」

 長岡の語調は、なんら変わりない。
 淡々と、喋っていた。

 それが、恐怖へと姿を変えて、俺の心に襲い掛かる。

 ここから先は、聞きたくない。しかし、聞かなければならない。
 耳を塞ぎかけた両手を、必死で握り締めた。


「ブーンとしぃ、中学のとき付き合ってたんだよ」


 開け放たれた窓から、涼風が吹き込む。
 その風に乗せられて、まだ色を濃く残した落ち葉が教室に迷い込んできた。
 戸惑うかのように、左右に揺れながら。
14 名前:第6話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/31(木) 21:49:31.34 ID:Z0CG3DCx0
「中3のとき、付き合ってたんだ」

 俺と付き合うのが、初めてだと言っていた。
 間違いなく記憶している。一点の揺るぎもない記憶。確かだった。

 昨日、何故か隠れるようにして俺のほうを見ていた。
 そして今日は、テスト期間なのに休んでいる。椎野が途中で帰った日に。
 その内藤と、以前、付き合っていた。

 信じがたかった。
 しかし、自分でも驚くほど、ナチュラルに言葉が体に溶け込んでいく。

「……そう……なのか……」

 捻り出した情けない声の呟きは、先ほどより強まった涼風にかき消された。












 第6話 終わり

     〜to be continued
inserted by FC2 system