77 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:24:00.63 ID:WllVhbVH0
【Fifth Color : Silver】

「彼女ができたの、いつ?」
「一昨日……」
「言ってくれたら良かったのに……」

 食卓に並んだ料理を箸で口に運びながら、母親は残念そうに息を吐いた。
 父親は厳格な表情を崩さずに、黙々と料理を噛み続けている。

「別に言ったって……なんか意味があるわけじゃないんだし……」
「それはそうだけど……でも、あんなに可愛い子……よく好きになってくれたわね……」
「……そうだね」

 そういえば、それについてはいまだに引っかかっている。しかし、以前に比べれば、今は抜かれかかった楔だった。

「礼儀正しい子だったし……ホント、いい彼女ができてくれて良かったわ」
「そりゃどーも……」
「修哉」

 父親が、食卓についてから、初めて口を開いた。
 テレビからは中東紛争の情勢が映像として流れていて、爆音も響いていた。

「女を、易々と信じるなよ。猜疑心を絶やすな。隙を見せるな。必ず間隔を置いて接しろ」

 言い終わって、父親はまたすぐに箸を動かし始めた。
 場の空気が、重かった。

「……分かってるよ」

 野菜炒めに箸を伸ばし、口に運ぶも、それを飲み込むのには時間がかかった。
83 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:28:48.54 ID:WllVhbVH0
 夕飯を食べ終えて部屋に戻ると、携帯にメールが入っていた。

(椎野……しかないよな)

 開くと、案の定椎野からだった。
 明日遊べなくてゴメンね、という内容。

(……わざわざ謝らなくても……)

 別にいいよ、と返信したら、本当にゴメンね、と返ってきた。
 そこで、更なる蟠りが心を襲う。

(なんで、こんなに必死になって謝ってるんだ……?)

 尋常ではないように思えた。
 少し怖くなって、それ以上返信はせずに携帯をベッドに放る。

(……わけ分かんないな……ホントに……)

 本当に、椎野には色々考えさせられる。
 今日は椎野との会話を楽しく感じて、これからもきっと喋ることを苦痛には思わないだろうと、嬉しかった。
 しかし、言動のいくつかに、納得のいかない部分がある。
 この夾雑物は、早めに取り除いてしまいたかった。
 ただし、それを椎野が受け入れるかどうかは分からない。今日も帰り際、何かを言いかけて、やめた。
 新たな楔を埋め込んでいった。

(……時間が経てば……多分、それなりに解決していくだろうな……)

 窓の外では、先ほどより強まった雨が音もなく降り続いていた。

84 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:31:18.46 ID:WllVhbVH0
 何事もなく日曜を過ごし、月曜の朝。
 椎野はいつもと変わらない様子で隣に座り、他愛もない話を繰り広げてきた。
 そして、その時間を快く思う自分がいた。

 火曜も、水曜も、木曜も、金曜も。
 話のネタに困ることもなく、朝夕の電車を楽しさが彩った。

 結局、椎野は土日、俺と一緒に勉強はしなかった。
 その二日間に沸いた感情を、どう名付ければいいのか、分からない。
 寂しさか、切なさか。どれも近いようで、違う気がした。
 ただ、隣に椎野がいないことが、信じられないほどの違和感として俺を襲った。
 勉強が手につかなくなることがしばしばあった。
 そして、月曜日に会うと、心が安らいだ。

(あぁ……そうか……)

 惹かれてるんだ、と思った。
 椎野の愛らしさや、有する空気に。
 多少納得のいかない部分はある。しかし、好きになっているんだ。
 椎野の側に居たいと思うようになったし、椎野の声が聞きたいと思うようになった。

 テスト期間中は午前だけで学校が終わる。
 その後すぐに家に帰るが、午後もまた空虚感に苛まれることとなった。
 こんなに短期間で、椎野を恋しく思うようになるとは、想像もしなかった。


 火曜、帰りの電車は、やけに人が少なかった。
 いつもより一限早く終わり、他と時間が違ったことが影響しているのだろうか。
87 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:34:24.15 ID:WllVhbVH0
「最近ね……」
「え?」
「午後、凄く暇で……一人で居る時間が多すぎて、苦しい……」
「……うん、俺も……」
「だよね! 我慢しなきゃいけないって分かってるけど、辛い……」

 椎野も同じことを感じていたのが、嬉しかった。
 気持ちは、椎野のほうが強い。だから、寂しがっているだろうとは思っていたが、実際言葉を聞くと安心に似た思いが押し寄せる。

 日差しを受けて輝く椎野の、切なげな表情。
 それを、かき消したいと思った。
 そうすることで、俺の中に駐屯する虚無感も消え去る気がした。

「今から、暇?」
「え?」
「時間あるんなら……どっか遊びに行こっか」

 椎野は、突然の発言に、頭が対応しきれていないようだった。
 慌てふためいている。

「いいの!? え、だって勉強は……」
「明日は保健と現文だし……勉強しなくても点取れるよ」
「ホントに……いいの……? やったぁ!!」

 両手を握られ、上下に振られた。
 そして、肩に頭を寄せてくる。
89 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:36:50.58 ID:WllVhbVH0
「嬉しい……ありがとう、ドっくん……」

 双眸が、潤んで見えた。
 握られた手を離して、椎野の髪をゆっくり撫でてみる。
 椎野の表情は穏やかだった。

「じゃあ、次の駅で降りよっか?」
「え? あ、そうか……ここらへんのほうが遊べるしね……」
「じゃ、降りよ」

 椎野に手を引かれ、ちょうど停車した電車を降りた。
 ここは駅自体が大きく、改札まで距離がある。

「何して遊ぼう……ドっくん、カラオケ好き?」
「好きっていうか……一回も行ったことないけど……」
「ホントに!? じゃあ行ってみようよ! いい機会ってことで!」

 断る理由はなかった。駅を出た後、椎野が導くままに、歩いた。
 5分ほど歩いて、大きなカラオケ店の中に入る。

「三時間でいっか」

 椎野がカウンターで店員と話し、見慣れない機械を受け取って俺のほうに戻ってくる。
 また手を引かれ、部屋に向かった。

「ドっくんの歌声聴ける〜。楽しみ!」
「下手だよ……」
「分かんないじゃん! とにかく聴いてみたい!」
92 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:38:50.16 ID:WllVhbVH0
「いい感じ。程よく狭くて……二人きりで広いと寂しいもんね」
「だろうね……」
「……エッチなこともできそうだね」

 体が、揺れた。
 今日はゴムを持っていない。そういう雰囲気に持ち込まれたら、生で挿入することになる。
 できれば、抗いたい。しかし、できるだろうか。

「制服のままっていうのも、良さそうだよね……」

 何も返答しなかった。体が強張り、ソファーに腰掛けるのも手間取ってしまう。
 椎野は、体が触れ合うほどの位置に座ってきた。
 親父に言われた、必ず間隔を置いて接しろ、という言葉がここで頭に浮かんでくる。

「とりあえず歌おっか」
「うん……」

 椎野が慣れた手つきで曲を入れる。俺も慌てて曲を選んで入れた。
 しかし、椎野が歌っている間に探せばいいのだから、慌てる必要などなかったと後で気付いた。

 椎野が歌っている間、ずっと不安に苛まれていた。
 静けさが二人を包んで、椎野が体に触れてきたら、もう抗える自信がない。
 そのまま、流れに身を任せてしまうだろう。

 この前、生理は遠いと言っていたが、あれから一週間以上経っている。
 もう来ていてもおかしくない。
 その状態で、椎野の中で果ててしまったら、大変なことになりかねない。
96 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:40:45.82 ID:WllVhbVH0
「閉ざされたドア〜の向こうに〜 新しい何か〜が待っていて〜」

 どうせなら、それまで精一杯楽しんでやる、と思って、腹の底から声を出して熱唱した。
 そしてそれが偶然にも、俺の心配を晴らすことになった。

「すっごーい!! ドっくんめちゃくちゃ上手いねー!!」
「いやいや……そんなことないよ……」
「ホントに凄い!! 私が今まで一緒に行った人の中で一番上手い!!」
「褒めすぎだって……」
「そんなことない!! ホンットに上手いんだもん!!」
「いやー……」
「もっと歌って! もっと聴きたい!!」

 椎野が曲入れを急かしたので、やはり慌てて曲キーを入力する。
 それからは七割方、俺の独演場だった。


 結局、三時間では足りずに、一時間追加してからカラオケ店を出た。
 四時間歌いつくして、喉が焼けるように痛い。

「ドっくん……オゴってもらっちゃって、ゴメンね……」

 店を出てすぐ、椎野はしょげた顔で謝ってきた。
 料理なども頼んで食べたため、カラオケの料金はかなり膨らんだ。
 こういうときは彼氏が出すものだろう、と思って支払ったが、椎野はずっと申し訳なさそうな表情だった。
102 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:42:54.96 ID:WllVhbVH0
「今度どっか行ったときは私がオゴるから……」
「いいよ、そんなの……彼女に出させる男なんて居ないだろうし……」
「そ、そんなことない! はず……だから、今度は私が払うから……」

 軽く頷いて、一応了承してみせた。
 しかし恐らく、椎野に払わすことはないだろう、と思った。
 椎野に言うことはないが、経済的な余裕という点で、二人に差がある。
 今日の支払いも、別段手痛くない額だ。払ったことを気にはしなかった。

「あっ……そうだ、私、おばあちゃんの家にちょっと寄ってかなきゃ……」
「そうなの?」
「うん……ゴメンね……」
「いや、別に謝ることじゃないけど……そっか、分かった」
「うん、また明日……」
「また明日」

 椎野と手を離し、すぐに駅に向かった。
 まだ夕陽が地を照らし始めたくらいの時間だが、一人で何かをしようとは思わない。
 家に帰ろう、と思って大通りを歩いていた。

 そこで、津出に出会った。

「毒尾くん? どうしたの、こんなところで」
「どうしたのって……別に、遊んでただけ……」
「一人で?」
「ううん、椎野と一緒……」
「あ、そっか……付き合ってるんだよね」
108 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:46:22.51 ID:WllVhbVH0
 波打った髪が涼やかな風に靡いている。
 誰が見ても染めていると分かるほどの茶色で、よく先生からは注意を受けているそうだ。
 しかし、津出が黒くしたところは見たことがない。
 もしかしたら地毛なのかも知れない、と思った。

「あ……そうだ、津出さん……告白のときは、ありがとう」
「え?」
「内藤から言われて、椎野に"屋上まで来て欲しい"って伝えてくれて……」
「……何の話?」

 津出の表情は、変わっていない。
 ただ単純に、不思議そうに俺の瞳を見つめている。

「え? 内藤に……言われてない?」
「言われてないよ? 何も。二人が付き合ってるのだって、最近知ったんだし」
「……そっか……」

 冷静に考えれば、何もおかしくはない。
 内藤は、椎野が前から俺のことを好きだった、と知っていた。
 つまり友達付き合いがあるのだから、わざわざ津出を介さなくても、直接椎野に伝えればいいだけだ。
 それなら、津出が知らないのは当然だった。

「あのね、私正直言って……しぃちゃんがオッケーするっていうの、意外だった」
「だろうね……俺も意外過ぎて……どうしようって感じだった……」
「ダメ元だったの? まぁ、そうだよね……しぃちゃん人気あるもんね」

 人気があるのはお前もだろう、と思った。
 端麗さと怜悧さを兼ね備えた風貌は、見る者のほとんどを魅了する。
 生徒会役員を務め、テストでは学年トップの座を維持し続けている。
 馬鹿で間抜けな内藤と付き合っているのが信じられないほどだ。
115 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:49:12.72 ID:WllVhbVH0
「津出さんは、何してたの?」
「ここらへんは私の行動範囲だからね、ちょっと買い物行ってたの」
「そうなんだ……家近いの?」
「うん、10分ぐらい行ったところかな」
「へぇ……」
「ほら、あっちに見えるマンション。あれが―――――」

 津出の声が、止まった。
 視線が、マンションではなく、その下に向いている。
 物陰から慌てて逃げ出した、人影に。

「内藤!? 何やってんの!?」

 津出の声が届いているとは思えなかった。

 内藤の後を追う津出、そしてその場に残された俺。


 二人が話しているところを、遠くから観察する意味などないはずだ。
 普通に出てきて、普通に会話に入ってくればいい。
 なのに何故内藤は隠れるようにこっちを見ていたんだ?
119 名前:第5話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/22(火) 23:52:34.53 ID:WllVhbVH0
(内藤……お前、一体……)

 違う楔が、打ち込まれた。
 抜かなければならない楔だ、と思った。




















 第5話 終わり

     〜to be continued
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