2 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 22:43:15.23 ID:bQ3z7N120
【Second Color : Purple】


 吹き荒ぶ夕風は、混乱と不透明を取り込んで、色を変え始めていた。

「ちょ……ちょっと待って……」

 か細い声を絞り出し、椎野に向ける。
 しかし、届いたかどうか分からない。風に、遮られたかも知れない。

「俺を……好き……?」
「うん」

 声は、届いていた。
 しかし、椎野の気持ちはこちらに伝わらない。考えが、分からない。

「……何で……?」

 当然の疑問だろう、と思った。
 今まで一度も話したことがない。外見だけで好かれるような人間でも、無論ない。
 好きになられるはずがなかった。

「何でって……だって、好きだもん……」
「好かれるようなことは一度もしてない……」
「私だってそうだよ! じゃあ何で毒尾くんは私のこと好きになったの?」

 何で?
 そう問われても、答えようがなかった。

 椎野のことが、好きではないからだ。

3 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 22:44:35.73 ID:bQ3z7N120
「……可愛くて……明るくて……なんか、惹かれた……」

 咄嗟に出た言葉は、それだけだった。
 嘘ではないが、あながち真実とも言いがたい。

 椎野の頬が、夕陽を反射させていた。

「ありがとう……」

 今度は、椎野の声が聞き取りづらくなっていた。

「私は……電車の中で見てて……」

 聞き取りづらかった声が、次第にはっきりしてきた。
 椎野は節目がちにしていて、表情をしっかり確認することはできない。

「いつも一人で……クールで……孤高な感じが、カッコイイなって……」

 耳を疑った。
 友達も居らず、陰気な雰囲気を出していただけの俺を、そう捉えるのか。
 信じられなかった。

「一回、隣に座ったことあったよね……? あれ、わざとだったの……近づいてみたくて……」

 どう反応していいのか、分からなくなってきた。
 こんなに暗くて、こんなに地味で、こんなに人に嫌われる俺が、好かれている。
 想定し得なかった。有り得なかった。

4 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 22:45:23.30 ID:bQ3z7N120
「あのとき、もたれかかっちゃってゴメンね……居心地が良かったから、ついうとうとしちゃって……」
「いや……別に、気にしないで……」
「ゴメンね、って言っても、毒尾くん、無反応だったから……怒ってるのかなって思って、怖かったの……」
「そうじゃなくて……あのときは、いきなりゴメンって言われたから、反応できなくて……」
「そっか……良かったぁ」

 椎野と再び眼が合った。
 大きな瞳の中に、明媚な輝き。恐らく、今まで多くの男を蠱惑してきたのだろう。
 俺自身、夕陽を背にしているのに、きっと顔は赤くなっている。

「嬉しいな……私、毒尾くんの彼女になれるんだ……」

 ―――――そうだ。
 頭から抜けていた。俺が告白して、相手も好きだと言った。
 つまり、二人は付き合うことになる。

 どうすればいい。どうするのが正解だ?
 今から断るか? いや、それは不自然だ。常識的に考えて有り得ない。
 しかし、椎野のことを、好きだと思ったことはない。
 その状態で付き合うことを、是とはしたくなかった。

 だが、椎野が好きだと言ってくれている。
 もし、椎野から告白されていたら、俺は間違いなく付き合うことを選択しただろう。
 そう考えれば、このまま付き合ってしまうのが当然と言える。

 いや、待て。そういえば、椎野には彼氏らしき男がいた。
 毎日一緒に帰っている間柄だし、見ている限り、友人とは思えなかった。
 あの男は何だ。

5 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 22:46:34.22 ID:bQ3z7N120
「あのさ……椎野さん……」
「ちょっと待って、椎野さんはやめて」
「え?」
「恋人らしくない。違う呼び方にしてほしいな」
「それは……いや、その前に、聞きたいことがあって……」
「聞きたいこと……? 私の呼び方より大事?」
「うん……」

 椎野の表情が真剣味を増した。聞き入る表情になっていた。

「毎日一緒に帰ってる男子は……あの人は、何なの……?」
「ただの友達だよ?」

 平然と言い放った。
 嘘があるようには思えなかった。

「毎日一緒なのに……と、友達?」
「変かなぁ……? 同じクラスで、帰る方向が一緒で……毎日同じ電車になっちゃうのが当然だと思うけど……」
「……友達……?」
「うん」

 普通に考えれば、そうだ。友達に決まっている。
 しかし、蟠りはあった。自分の中で、二人が付き合っていると決め付けていたせいもあるが、納得できなかった。
 だが、反論する言葉もない。

「……毒尾くん、何で残念そうなの……?」

 俯きながら考えていた俺の顔を、覗きこんでくる椎名。
 疑問と不安を抱えているのが分かった。

6 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 22:47:47.77 ID:bQ3z7N120
「べ、別に残念とかじゃなくて……ちょっと意外だっただけ……」
「意外……? 私とあの人が、付き合ってるって思ってた、ってこと?」
「……まぁ……」
「だったら、何で『良かったら付き合って欲しい』って言ったの?」

 椎野の語気が強まってきた。焦りで口が上手く動かない。

「……ダメ元だった……とにかく、言ってみたかったんだ……」

 嘘が、綻び始めていた。
 この場を乗り切れるのか、分からなくなってきた。

「……そっか……うん、分かった……」
「なんか、ゴメン……」
「謝るところじゃないよ……私もちょっと不思議に思ったから、聞いてみただけ……気にしないでね」

 一瞬の静寂が流れた。
 再び、考える。本当に、このまま事を進めてしまっていいのか。

 全てを、明かす。そうしてしまったほうが、良いのではないか。

 恋人が欲しい、とは思わなかった。楽しいこともあれば、辛いことも多分ある。
 面倒事も、起きるだろう。考えたくもなかった。

 全てを明かせば、嫌われる。恐らく、椎野は周りにも言いふらし、俺の評価は地に落ちるだろう。
 それは無論避けたいが、しかし、このまま付き合うことになるのも、怖かった。
8 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 22:48:39.51 ID:bQ3z7N120
「話戻すけど……椎野さんはやめてね、絶対」

 椎野は、笑顔になっていた。
 隣に立たれて、腕が触れ合う。椎野の甘い香りが、鼻に入り込んでくる。
 やはり、高揚してしまっていた。

「……じゃあ、何て呼べば……」
「しぃ。私、みんなにしぃって呼ばれてるから、しぃって呼んで」
「……しぃ……」
「うん。じゃあ私はドっくんって呼ぶね」
「ド、ドっくん?」
「ダメかなぁ……下の名前、修哉だよね? シュウくんにする?」
「……いや……ドっくんでいい……」

 ドっくんは小学生のときに呼ばれていたあだ名だ。呼ばれ慣れているほうがいい、と思った。

「じゃあ決まり! これで、ちょっと恋人っぽくなれたかな……?」
「……かな……」

 もう、逃れようがなかった。
 今更、嘘だと言える雰囲気ではない。どうしようもなくなってしまった。
 付き合うことに、なってしまった。

「ねぇドっくん」
「え?」
「明日さ、遠足だよね」

 そうだっけ、と言いかけた。
 今日、死ぬつもりだった。明日のことなど、考えていたはずがない。

9 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 22:50:11.17 ID:bQ3z7N120
「一緒に……回ってくれる?」

 穏やかになった夕風が二人の隙間を縫うように通り過ぎる。
 夕陽も、いつしか色を落とし始めていた。

「え……友達と回るんじゃないの……?」
「彼氏と一緒に回るって言うよ。ドっくんは?」
「……別に、誰かと回る予定があったわけじゃないけど……」

 死ぬ翌日の予定など、組まれているほうがおかしかった。
 しかし、嘘をつけば良かったかも知れない、と今は思える。友達と約束してしまった、と。
 だが、椎野が"友達との予定を破ってまで俺と回る"と言っている以上、その嘘も効果的とは思えない。
 結局、道は一つだった。

「うん……じゃあ、一緒に……」
「良かった! 嬉しい!」

 改めて考える。何故だ?
 何故、こんなに好かれているんだ? 分からない。
 今後、それが分かる日は来るのだろうか。


「じゃあ、また明日!」

 電車に乗って、一つ前の駅で降りる椎野。 
 笑顔を振りまいて、去り行く電車を見送っていた。
11 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 22:51:34.37 ID:bQ3z7N120
(……疲れた……)

 率直な感想だった。
 屋上で番号とアドレスを交換したあとは帰途に着いて、それからは雑談だった。
 椎野由依、O型、4月22日生まれの17歳。
 好きな食べ物はリンゴと蕎麦。嫌いな食べ物はキノコ類。
 会話のほとんどは彼女の自己紹介であり、俺のことはあまり聞いてこなかった。
 隣の席から、椎野の残り香を感じることができた。

「ただいま」

 ドアを開けると、家の中から光が漏れた。
 NHKのアナウンサーの、静かにニュースを読み上げる声が聞こえる。
 リビングへと歩を進め、あまり音を立てないようにしながら扉を開けた。
 父親が既に帰っていた。

「今日は早いね」
「休みだ」
「あ、そっか。そういやそうだっけ」

 不機嫌そうな顔でテレビを見ている。
 眼鏡の奥の瞳は、光の反射で、確認することができなかった。

「疲れてるわね。どうかしたの?」

 夕飯の支度を始めている母親が、顔だけをこちらに向けながら聞いてきた。
 小さな鍋からは湯気が上がっていて、肉と野菜の茹だる匂いを辺りに漂わせている。

12 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 22:52:43.25 ID:bQ3z7N120
「別に、何にもないよ」
「そう」

 すぐにまた顔を背け、料理に集中しはじめた。
 父親の瞳は確かめられないが、こちらに向いてはいないだろう。
 弁当を流し台に置いて、リビングを出て、階段を昇って、自分の部屋に向かった。

 死ぬ前に、自分の部屋くらいキレイにしておくか、と思って、昨日は部屋を片付けた。
 雑然として狭小感があった昨日までに比べると、かなりさっぱりしていて、寂寞感すら漂う。

 ベッドに倒れこんで、天井を見上げた。シミ一つない、純白の空。
 窓から見える本物の空は、漆黒に染まっている。星の姿は確認できなかった。

(……付き合う……彼女……恋人……)

 実感が沸かない。本当に、俺に、彼女ができたのか。
 望んでいなかった展開。素直に喜べないのは、当然だった。
 嫉妬が発展した憎悪も抱いていた。しかし、嫌いだと心の底から思ったわけではない。
 最初に見たときは、可愛いと思った。今も、そう思う。
 本人の性格は分からないが、明るくて、接しやすくて、誰からも好かれそうだ、と感じた。
 多分俺も、あの性格を嫌いになることはないだろう。

(……いや、分かんないな、まだ……深く知れば、嫌になる部分もあるだろうし……)

 結論付けるには早すぎる。まずは、相手のことを知らなければならない。
 しかし、知ることが億劫だ、と思えた。一緒に居て、会話をするのが、面倒に感じられた。
22 名前: ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 23:15:45.07 ID:bQ3z7N120
 登校も下校も、いつも一人だ。誰かと一緒に帰りたいと思ったことはない。
 静穏は常に孤独と共にあり、ある意味では、満ち足りていると言えた。少なくとも、俺はそうだった。
 それが、消える。
 耐えられるのか。上手くいくのか。不安はあった。

(……ん……)

 携帯が震えている。
 五回振動して、止まった。メールだった。

(……顔文字いっぱい使ってあるな……あんまり好きなスタイルじゃない……)

 内容は他愛も無いものだった。これからよろしくね、とか、明日楽しみ、とか、今日既に話したような文面。
 気だるさを感じながらも、返信する。それに対する返信は、すぐだった。

(早いな……女の子って、こんなもんか……?)

 その後夕飯を食べるために下に降りて、食べ終わってからメールを返信した。
 そのメールに対する返信も、すぐに来た。

(……ホントに早いな……)

 結局、メールは夜中まで続いた。
 最終的には眠くなって、俺が返信するのをやめた。
 申し訳なく思う気持ちは、全くといっていいほどなかった。
24 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 23:20:33.73 ID:bQ3z7N120
 翌朝。
 遠足ということで、いつもより早めに家を出た。
 電車に乗って、一駅進むと、ホームには椎野が居た。

「おはよう!」
「おはよう……」

 隣の座席に腰掛ける椎野。
 こちらの顔を覗きこむように、笑いかけてきた。

「毎朝会ってたのに、今日はなんか特別な感じ」
「そう……?」
「だって……好きな人が、隣に居るもん……」

 今度は、夕陽の照らしではなかった。朝日を浴びているのに、頬は紅潮している。
 体が火照っているのは、夏だからだろうか。

「……うん……俺も……」
「だよね! 好きな人の傍に居るだけで、こんなに違うなんて、知らなかったなぁ……」

 嘘をつくしかなかった。
 もう、真実は言えない。このまま、貫き通すしかなかった。

「ねぇ、ドっくん……」
「ん?」
「あのさ……昨日、メール……」

 不安げな表情を、床に向けながら喋る椎野。
 左手に携帯を握り締めていた。
25 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 23:25:14.36 ID:bQ3z7N120
「あ……ゴメン、寝ちゃったから……」
「あ、そっか……それならいいの! 何か変なこと言っちゃったかな、と思って、不安で……」
「そういうんじゃないよ……不安にさせてゴメン……」
「こっちこそゴメンね……下らないこと考えちゃって……」

 それから一駅分、無言が続いた。

 車体を左右に揺らして電車が進む。
 朝の静けさを、かすかに打ち消しながら。

「その……私、付き合うのって初めてで……どういう風に接したらいいか、まだよく分かんなくて……」
「え?」

 驚きで、窓に頭をぶつけそうになった。
 男と付き合うのが、初めて?

「付き合ったことないの? 今まで、一度も?」
「うん……恥ずかしながら……私、そういうのに何か、縁ないみたいで……」
「ホ、ホントに?」
「ホ、ホントだよ! な、なんでそんなに疑うの?」

 信じがたかった。明らかに一般レベルよりは上の女が、高校二年生にもなって、付き合ったことがないなど。
 少し可愛い女はすぐに彼氏を作っているものだと思っていた。偏見だったのだろうか。
28 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 23:28:19.01 ID:bQ3z7N120
「いや……ちょっと意外だっただけ……」
「意外……かなぁ……?」
「うん……」
「……喜んでいいのかどうか分かんないけど……でも、ありがとう……」

 はにかんで、こちらを見た。
 前髪を整えて、後ろ髪を触った。女の子らしい仕草だ、と思った。
 窓から射す光が、椎野の白き肌を際立たせている。
 短いスカートから突き出た両足は、細く、長かった。
 紺色のソックスが見事にコントラストを描き出している。

「……じろじろ見てるー」
「え?」

 足に視線を集中させていたことに、気付かれた。
 笑いながら、額を人差し指で突いてくる。

「ご、ごめん」
「可愛いなぁ、もう」
「え……」
「ふふ。あ、着いた着いた」

 車掌が駅名を読み上げる。学生の多くが席を立った。
 椎野と二人、並んで降りる。
 周りからは、訝しげな視線が多い、と感じた。
30 名前:第2話 ◆azwd/t2EpE 投稿日:2006/08/21(月) 23:32:20.86 ID:bQ3z7N120
「今日は一日、楽しもうね♪」
「う、うん」

 学校までは歩いて10分。
 改札を出たあと、椎野に、左手を握られた。

 7月に入る直前で、太陽の照りも強い日。
 しかし、椎野の手の温かみを、不愉快だとは思わなかった。


 そしてやはりこの時も、内藤の視線には気付けないでいた。
 興味本位の、野次馬的な視線とは決して思えない、鋭い視線に。















 第2話 終わり

     〜to be continued
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