2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:07:14.25 ID:4GMCEBFSO
分厚く積もった埃を払いのけると、埋もれていたキーボードが、乾いた空気にさらけ出された。

白く伸びた指が不器用そうに動き、確かめるようにキーを叩く。
女の前にあるモニターには、何も表示されない。

小さな溜め息が漏れた。
まだ生きているはずだが、予想が外れている事も有り得る、
と、諦め気味に、女はまた数回キーを叩く。

周波数のあっていないラジオのような、ノイズ混じりの甲高い音が聞こえた。

発信源は、目の前の機械から。
伏せられていた女の目に、僅かに光が宿る。


3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:09:39.67 ID:4GMCEBFSO
女はキーを叩く。
静まりつつある音とは裏腹に、モニターには慌ただしく数字が整列していく。
必要な事を打ち込み終えたのか、ざっとその数字の羅列を確認すると、女は勢い良くエンターを押した。

目にも止まらぬ速さで、様々な確認、認証、再調整、その他似たような意味の言葉が表示され、そして消えた。

「……」

川 ゚ -゚)「WKTTMS、応答を」

「……」

彼女はモニターに向かって、静かに話しかけた。
幅1m程の、モニター上部に備え付けられている魚眼レンズカメラが小さな音をたてて、
目の前に立つ女にピントを合わせた。

5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:11:31.41 ID:4GMCEBFSO
川 ゚ -゚)「……補助音声合成モジュールがいかれているのかな」

川 ゚ -゚)「それか、音声認識がダメになっているのか?」


「……はろー、ハロー。こちら、WKTTMS。WKTTMS。version、14.9……」

僅かな間を置いて、抑揚の無い合成音声が女の耳に入った。
少し調子は悪いようだが、タイピングをしなくても一応意思疎通は図れるようだ。
彼女はタイピングが苦手なので、心の中でそっと胸をなで下ろした。

川 ゚ -゚)「ようし、WKTTMS。君がこの任務に就いてから、大体どの位経ったか……わかるかな?」

「そのまえに、ひとつ質問が。私は、あなたをしりませ、ん」

相変わらず平坦な口調ではあったが、そこには警戒の色が見えた気がした。

彼女は機械から少し距離を置くと、目の代わりである小さなカメラに向かって、丁寧に礼をする。

6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:14:08.44 ID:4GMCEBFSO
川 ゚ -゚)「すまない。自己紹介が遅れた」

川 ゚ -゚)「私の名は、素直クール。君の……なんと言おうかな。再教育係とでもしておこうか」

「私に、再きょう育の必要は、42%だと、わかってます」

「私のプログラム、を。書き換える権限がある、のは。稚内博士のみ」

機械は自らに修正すべき箇所がある事を認めながらも、女の申し出を断った。
どうやったらこの機械を納得させる事ができるのだろうか。

女は暫く考えて、懐から小さな高性能レコーダーを取り出した。

7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:17:57.51 ID:4GMCEBFSO
『……WKTTMS、WKTTMS。僕が作り上げた誇り高き息子』

『今もまだ、黙々と調査を行っているのかな。君が自然の脅威に負け、停止していない事を祈りたいんです』

『これを聞いているという事は、君は今、見知らぬ人物と対面しているはずです』

『今から言うことをよく聞きくんです。君に対する権限を、君にレコーダーを聞かせた人間に、全て依託するんです』

『大丈夫。安心するんです。きっと君とうまくやっていけるだけの腕があるはずなんです』

『最後に……。最後に、君に会いたかったです。WKTTMS。もう絶対に会う事はないでしょう。最後の挨拶がレコーダー越しになってしまってすまないんです』

『君を愛した、稚内より』
9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:20:44.91 ID:4GMCEBFSO
最後の言葉が終わり、短いノイズの果てに、ぷつんと音が切れた。
聞こえていたのかいないのか、機械は反応を示さない。
まだ離れた位置に立っていた彼女が近づこうとした所、やっと機械からの応答があった。

「素直、素直クール。あなたは、そこに、そこに。いるのですか」

やっと今女は気付いた。ピントを合わせたように見えた魚眼レンズは、
彼女とは程遠い明後日の方向を向いていたのだ。

一体どれだけ世界を見つめていたのかわからないその機械の眼は、
埃に纏わりつかれ、すっかりめしいてしまっている。
これでは見える訳がない。

10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:23:31.40 ID:4GMCEBFSO
ただ、原因はわかりきっている。
彼女はカメラに優しく手を伸ばし、埃を拭った。

傷がつくことはない。くもる事もない。
静かな湖面のようなレンズが、日の光を浴びる。
彼女はレンズの奥底、偽りの人格を有する機械の心を覗き込もうとするかのように、じっとカメラを見つめていた。

川 ゚ -゚)「これで私の顔がわかるかな? WKTTMS」

「わかります。素直クール。黒い髪、白い肌、黒い眼、性別女、モンゴロイド」

川 ゚ ー゚)「OK。いい返事だ」
12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:24:51.22 ID:4GMCEBFSO
川 ゚ -゚)「WKTTMS。今日の授業は、月面都市における人間の生態の変化だ」

川 ゚ -゚)「六分の一の重力は、地球から月に移り住んだ人間達に、どのような影響を及ぼしたか……」

川 ゚ -゚)「重力以外に、自転の違い、閉塞空間で長年暮らすとどうなるのかなどなど……」

今日も彼女の長い授業が始まる。

こんな話は、データを纏めたチップを差し込めばものの数秒で済む話なのだが、
如何せんWKTTMSの機械は、素直クール達の使う最新鋭の機械達と比べたら、
旧式もいい所。カードを差し込む場所が無いのだ。

今では埃を被ってみすぼらしい姿になってしまったWKTTMSだが、
だが、かつては高級感溢れる、慎み深い銀に包まれた、世界一の人工頭脳だった。

13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:28:08.08 ID:4GMCEBFSO
「それは、月世界に人間が住む事になったらという、仮定の話と捉えてよろしいでしょうか?」

川 ゚ -゚)「残念ながら、これは全て現実の話なのさ」

川 ゚ -゚)「君が停止して何年経ったかわからないが、今の月にはうさぎではなく、人間が住んでいる」

川 ゚ -゚)「日々進歩する科学の力には、驚かされるばかりだよ」

常に受動的であった機械を、学習し、学習結果から自らの考えを紡ぎ出し、
能動的にした稚内博士の偉業は、長い事語り継がれる事となった。

だが、今の世には、人工頭脳を持つ機械はこのWKTTMSしかいない。

世界一の人工頭脳は、世界でたった一つの人工頭脳。
15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:30:46.57 ID:4GMCEBFSO
川 ゚ -゚)「そろそろ、今日の授業は終わろうか」

「ありがとうございました。素直クール」

彼女はこの毎日の授業に、意欲的に取り組んでいた。
模範的過ぎる生徒とのマンツーマン授業は、悪くない物だったからだ。

納得できない事にはしっかりと質問をし、
話した事は全て吸収する、素晴らしい生徒。
もしこんな生徒が現実にいたら、実技の授業以外はオールAがつけられただろう。

川 ゚ -゚)「君は本当に素晴らしい生徒だな。教えがいがあるよ」

「光栄です」

半壊した建物の入り口から出ていく素直クールを、WKTTMSはじぃっと見つめていた。
17 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:32:39.59 ID:4GMCEBFSO
WKTTMSには大したダメージは見られなかったが、
小さな故障はそれこそ数えきれない程発生していた。

彼女がこの世に生を受けたその時よりも遥か昔から、
WKTTMSは観測を続けているのだから、仕方がないだろう。

素直クールの任務は、何もWKTTMSに最新の情報を伝えるばかりではない。
不備が現れた個所のパーツを取り替え、元々の能力を発揮出来るようにさせる事も含まれている。

油を差せば直るような、ほうっといても支障が無いような物もあったが、
完璧主義の彼女には、一つでも正常に働かない部分がある事に我慢がならなかった。

川 ゚ -゚)「よっし。できた」

川 ゚ -゚)「さあ、話してごらん。コードWKTTMS、WKTTMS、応答せよ」

「全て順調、異常無しなのはわかっています」


18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:36:09.43 ID:4GMCEBFSO
最初出会った時にWKTTMSが発した声は、人間の声とは程遠い、味気ない合成音声であった。
だが今機械からでているのは、どう聞いても発音が綺麗な成人男性の声であり、
声だけ聞けば、機械が作り出しているとは到底思えないだろう。

川 ゚ -゚)「やあWKTTMS、調子はどうだい?」

「快調です。素直クール」

川 ゚ -゚)「それはよかった。後、私の事はクーと呼んでくれると嬉しい」

「了解です。クー」

もし周りに、素直クール以外の人間がいたならば、声だけ聞く限りは
男女が堅苦しい会話をしていると思い込んだ筈だ。
20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:39:30.84 ID:4GMCEBFSO
夜中、素直の仮住居に、優しく静かなチャイムが鳴った。
床に着こうとしていたクーは、のそりと身を起こすと、
連絡ランプが淡く点滅している、小型モニターの応答スイッチを押した。

川 ゚ -゚)「何かな?」

「クー、クー」

川 ゚ -゚)「WKTTMSか。どうした一体。何か問題が起きたか」

「いえ、異常はありません」

異常が無いのに呼び出す。
それだけでかなり怪しい話だったが、彼女は黙っている事にした。

WKTTMSにも自覚出来ない、何か深刻なエラーが出ているのかもしれないと思ったのだ。
今その事をWKTTMSに言うと、さらにややこしい事になってしまうかもしれない。

21 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:43:13.27 ID:4GMCEBFSO
WKTTMS自身が自己のエラーを探し出そうとした結果、
そのエラーのせいでエラーを感知出来ずに、
そこから余計なエラーを引き起こす事もあり得なくはない。

WKTTMSは機械だが、機械だからこそ、人間の感情の変化を察知できる事もある筈だ。
彼……WKTTMSに、動揺を悟られてはならない。

そこまで考えて、素直は努めて冷静を装い、WKTTMSを軽くあしらう事にした。

川 ゚ -゚)「ならいいじゃないか。君は眠くはならないのかも知れないが……。私は人間だ。睡眠を取らなければ倒れてしまう」

「私も、眠くなる事はできるでしょうか」

川 ゚ -゚)「不思議な事を聞くんだな、君は。面白いやつだ」

川 ゚ -゚)「とりあえず、詳しい話は明日しよう。今日はもうお休み」

「お休み。クー」


22 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:44:18.71 ID:4GMCEBFSO
翌日、いつも通りの時間にWKTTMSの元へ行くと、誰かが立っていた。

一瞬、ぎくりと体を強ばらせた素直は、警戒の色を顔にありありと浮かばせ、
緊張した様子で、その誰かに注意深く問いかける。

川 ゚ -゚)「誰だお前は。この辺りには私以外に人間はいない筈だが。異星人とでも答えるか」

( <●><●>)「……クー、クー。私は、WKTTMSです」

川 ゚ -゚)「! ホログラフィー?……」

黒い髪、白い肌、黒い眼。素直と同じような、
シンプルな作業用スーツに身を包んだ男は、WKTTMSと名乗った。

瞬時にその状況を理解した素直は、WKTTMSになぜそのような映像を作り出したか尋ねる。

23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:46:35.35 ID:4GMCEBFSO
川 ゚ -゚)「WKTTMSか。私に許可も得ずにそのような真似はしないで頂きたかったな」

( <●><●>)「すみません」

川 ゚ -゚)「仕事や勉強に支障を出さなければ問題はないさ。だが、なぜいきなりホログラフィーを? 答えろ」

WKTTMSの前に立つホログラフィーは、素直の問いかけに臆する事もなく、真っ直ぐ素直を見つめたまま話し始めた。
だが口は動いていない。声を発しているのは後ろの機械のWKTTMSだからだ。

( <●><●>)「あなたの容姿を解析し、私が持っていた成人男性モデルに特徴を貼り付け、この像を作り出しました」

川 ゚ -゚)「ああ、作り方を聞いてるんじゃない」

( <●><●>)「わかっています」

ふぅ。素直の口から溜め息一つ。
昨日の夜から、WKTTMSが何を考えているのかわからない。

24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:48:47.04 ID:4GMCEBFSO
もしWKTTMS自身がわからないうちに深刻なエラーが発生しているのだとしたら、
面倒な事にならないうちにWKTTMSを初期化し、
WKTTMSが収集したデータだけを取り出し、素直だけ帰る事も可能だった。
だがそんな事を決してやるつもりはなかった。

彼女がWKTTMSの元にやって来た理由は、WKTTMSの労力の結晶である大量のデータを持ち帰る事である。
WKTTMSにもう一度知恵をつけさせるなんて事は、やらなくてもいいのだ。

川 ゚ -゚)「……話したくないならば別にいいさ。機械に隠し事をしたいなんて感情があるのかはわからんが」

( <●><●>)「それは私にもわかりません」

機械の頭の中には、何があるのだろう。電気信号が飛び交っているのは人間と同じだが、あくまでも相手は機械。無機物の集合体だ。
だが、無機物の集合体に知恵がついて、学習するようになって、自分で考えられるようになった、その時───

( <●><●>)「クー」

川 ゚ -゚)「あ、あぁ。すまない。考え事をしていた」

川 ゚ -゚)「それでは、今日の授業を始めようか」
30 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 00:59:47.58 ID:4GMCEBFSO
彼女はやらなくてもいい事だとわかっていながら、毎日精力的にWKTTMSの元へ行き、
学術書から論文、最新の雑誌など、様々な本を語り聞かせた。

一度、本をWKTTMSのカメラの前に持っていきぱらぱらめくるだけという、
話すよりも手っ取り早い方法を試してみたが、
WKTTMSからその学習方法は能率が悪いとダメだしを食らってしまった。

WKTTMSのカメラは目の前でどんなに早く場面が展開しようと、
全て記憶できるだけの能力があったはずだが、
WKTTMS自身がそう言うのならば仕方がない。

前と変わらず、素直が読み聞かせる方法に落ち着いた。

31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/13(木) 01:01:31.21 ID:4GMCEBFSO
川 ゚ -゚)「WKTTMS、ここまでわかったかな? 聞くまでもないがね」

( <●><●>)「平気です。クー」

川 ゚ -゚)「たまにはそのホログラフィーを使って、本でも読んでみたらどうかな」

( <●><●>)「ホログラフィーはただの像です。物体を触る事はできません」

川 ゚ -゚)「わかっているさ。ジョークってやつだよ」


時間が無かった。彼女にも。WKTTMSにも。

時間が無いにも関わらず、彼女はWKTTMSにその事を打ち明けようとせずに、ただ黙々と授業を続けた。

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