27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/08/22(水) 12:18:18.33 ID:nWGK0R840



その日も俺はいつものごとく、定時退社の時間を大きく回ってもまだ、職場に残っていた。
午後十時ころ、ようやく今日の仕事から解放され、オフィスを出る。

( ^ω^)「ふぃー……」

エレベータを待ちながら、疲れはため息という形となって俺の口から零れ落ちた。
やがてエレベータがやってくる。時間が時間だから乗っている人間はいない。

俺は無言でエレベータに乗り込む。
この時間ならば、めったにエレベータで他人と同乗することもない。

とは言えさすがは日本人、三日に一遍くらいの割合で見知らぬ他人と同乗することはある。
疲れたお互いの顔を見合って、たまに「お疲れさまです」なんて言葉を交わす。

そんな時、不意に疲れが報われた気になるから不思議だった。

( ^ω^)「……」

今日のエレベータは順調だった。
俺のオフィスがあるのは最上階のひとつ下。一度も止まらなくても、一階に着くまで三十秒ほど時間がかかる。

俺はエレベータの壁に背を預け、移り変わるデジタル表示を眺めていた。

30 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/08/22(水) 12:25:42.39 ID:nWGK0R840

14……13……12……。

順調に表示される数字は数を減らしていく。

10……9……8――、

( ^ω^)「……またかお」

俺は思わず舌打ちした。
移り変わっていた表示が、8の数字のまま止まる。
チン、というありふれた音が鳴り、やがてエレベータのドアが開く。

止まったからには誰かが待っているのだろうと、俺は『開』のボタンを押す。
しかし、開いたドアの向こうには誰もいなかった。薄暗く味気ないエレベータホールがドアの向こうにあるだけだった。

( ^ω^)「くそ阿呆が」

呟いて、今度は『閉』のボタンを押す。
ボタンを押す手に、思わず力がこもった。

たまにこんなことがある。
夜遅く、俺がエレベータに乗ると、誰も待っていない階でエレベータが止まる。

それ自体は、特に珍しいということでもない。
喫煙所でしぃと話したように、こういうことをする阿呆はどこにでもいるのだ。

大方、トイレだのなんだのでオフィスを出たときに、惰性でエレベータのボタンを押してしまうような奴がいるのだろう。
長く同じ場所で働いていると、そんな癖までついてしまうのだ。


31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/08/22(水) 12:26:39.06 ID:nWGK0R840

しかし、いつからか俺は気付いた。
俺が夜遅くまで残業し、そして今日のように誰も待っていない階でエレベータが止まる時……。
それは決まって八階なのだ。もちろん、全部が全部八階というわけではない。

二階でエレベータが止まり、本気で嫌がらせじゃないのかと思うことも、ごくごく稀ではあるがないとは言えない。

それでも……と、そういうことだ。
やはり、どうしてか八階でエレベータはよく止まる。

よほど気の抜けた阿呆がいるのだろうと、俺はそう考えていた。
だから俺は八階が嫌いだった。



32 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/08/22(水) 12:27:58.86 ID:nWGK0R840



仕事の内容はここしばらく変化していない。
一言で言うと雑用が適切だろうか、『研修』名目でチーフ以上の人間がやるべき細々とした雑務が、次から次へと降りてくる。

入社二年目でチーフ格の仕事をさせてもらえるのだから、それは喜ぶべきことなのかもしれない。
しかし、俺に課される『研修』は、時間だけくって権限さえあれば誰だってできるだろうと思えるようなものばかり。

別にこの仕事を軽んじるつもりはない。ただやはり、俺はありがたすぎるお上に恵まれているのだった。

( ・∀・)「内藤」

背後から名前を呼ばれ、俺はオフィスの入り口で立ち止まる。
振り向くと、俺の『研修担当』で、ありがたいお上の一員でもあるチーフが立っていた。

( ・∀・)「どこに行く?」

別に着席を義務付けられているわけでもないのに、そんなことを聞かれる。
仕事中にオフィスを出て向かう場所などトイレか喫煙所くらいしかなかろうに。

そんなことも一々聞かなければわからないのかと思いながら、俺は素直に答えた。


33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/08/22(水) 12:29:12.68 ID:nWGK0R840

( ^ω^)「喫煙所ですお」

( ・∀・)「ほう……」

低い声でうなるように言って、チーフは口元をゆがめた。
この「ほう……」は、チーフの口癖だった。九割五分ほどの確率で、この口癖の後にはありがたいアドバイスが続く。

従順さのアピールには不可欠な無表情を維持するため、俺は口の中で舌を強くかんだ。

( ・∀・)「お前の仕事は喫煙所でできるのか?」

( ^ω^)「いや、僕は――」

( ・∀・)「僕はなんだ? あぁ? 僕は喫煙所でも仕事のことを考えてますとでも言うつもりか?
     馬鹿野郎が、考えるだけで金が稼げるとでも思ってるのかお前は。そんなことだから同期のしぃに遅れを取るんだろうが。おい、違うか?」

( ^ω^)「……」

どうしてそこでsぃの名前が出てくる、そう考えた瞬間、痛みでは殺しきれなかった感情が顔に出てしまったらしい。

( ・∀・)「……なにか言いたげだな、おい」

チーフが楽しげに言った。
負け犬の遠吠えを聞いて楽しむ奴らは、大体にして犬を鳴かせる術をよく心得ている。
チーフもそんなタイプの人間だ。
39 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/08/22(水) 12:38:16.72 ID:nWGK0R840

( ・∀・)「言いたいことがあるなら言え、内藤。
     お前だってもう二年以上ここにいるんだろうが。
     何か思うことがあるなら今のうちに言っておけ。ほら、どうだ? 研修方法に不満でもあるか?」

( ^ω^)「……いいえ、特には」

( ・∀・)「じゃあなんだ、さっきの顔は。言いたいことあるんだろう?」

( ^ω^)「……」

何かあっただろうか……チーフの言葉に、念のため、言いたいこととやらを探してみた。
だが、言いたいことなど一つも思い浮かばなかった。

せっかく機会を作ってくれたチーフには申し訳ないが、俺は『言っても無駄』という言葉を知っていた。
今、目の前に立つ人間に、何が期待できる。

( ^ω^)「特にありません」

俺はできる限りはっきりと、どんな奴にでも伝わるようにそう告げる。
とたん、チーフの顔が曇る、大きな舌打ちのおまけで付きで。

( ^ω^)「戻ります」

口を開かないチーフにそう言い、自分のデスクに戻ることにする。
こんな気分のまま煙草を吸ったって、美味く感じないだろう……そう思ったのだが、しかし俺の歩みは、再度チーフにとめられた。


40 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/08/22(水) 12:39:59.25 ID:nWGK0R840

( ・∀・)「煙草でも何でも好きなだけ吸ってこい」

( ^ω^)「……えっ?」

( ・∀・)「どうせお前などいなくても問題ない」

( ^ω^)「……」

捨て台詞としてはそこそこ優秀なセリフを残して、チーフは立ち去った。
俺はもう一度体の向きを変え、言われたとおり喫煙所に向かう。

そういえば、最近、美味い煙草を吸うことが減った……最上階へ向かうエレベータの中で、そんなことに気付いた。


 ――八階の奴らが嫌いだ。
   顔も見たことないくせに、俺は心底、あいつらを嫌っていた。



41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/08/22(水) 12:40:54.50 ID:nWGK0R840

八階で止まるエレベータに気付いたのは、思い返せばそれほど昔のことではない。
以前からそんなことはあったのかもしれないが、俺が八階を特別視し始めたのは、たぶんここ二ヶ月ほどのことだろう。

夜遅くまで残業したある日の帰り、例のごとくエレベータが止まった。
開いたドアの向こうには誰もいなかった。俺はため息一つで『閉』ボタンを押そうとした。

だが、その手が止まった。

声が聞こえた。それはひどく熱心に何かについて語る声だった。
声にこめられた熱はおそらく情熱と呼ばれるもので、このビルがオフィスビルである限りその情熱は仕事へ向けられているはずだった。

顔を上げると、常夜灯に照らされたエレベータホールの奥に、まだ明かりの灯る部屋があった。
すりガラスの向こうで、人影が右に左に動く。たまに聞こえる乾いた音は、ホワイトボードを叩く音に似ていた。

エレベータの表示は、「8」の数字で止まっていた。
絶え間なく響くその生き生きとした声に――俺は、惹かれた。


だから、八階が嫌いだった。
43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/08/22(水) 12:41:56.86 ID:nWGK0R840

どうしようもなく日々が退屈だ。
それは上司のありがたいお言葉に反論する気も起きないほど。

どれだけありがたい説教だって、それが度を越せばありがた迷惑になるはずだ。
ありがたいアドバイスなんて割り切っている自分が、きっとなにより退屈だと知っていた。

( ^ω^)「辞めっかなぁ……仕事」

自分ひとりしかいない喫煙所の中、以前から心のどこかで考えていたそれを口に出す。
ここしばらく、そのきっかけを探すような日々が続いていた。
何かきっかけがあればと思っていたから、何も起きない日々がどうしようもなく退屈に思えた。

本当ならきっかけなど自分で作るべきものなのだろう。
だがそんな気力はどこにもない。疲れて家に帰った俺には、転職雑誌を買いに行く気力すらないのだ。

本当はもう、どうでもよかった。

八階でエレベータを降り、夜遅くまで明かりの絶えないあのドアをノックしたら、その時世界は変わるだろうか。

移ろう紫煙の中、そんな空想が俺を捕らえた。

戻る

inserted by FC2 system