5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:28:36.30 ID:yl8xdR3U0
     第九レース「悪夢の再来」


( ^ω^)「お? バイクって、学校で貸し出してくれないのかお?」

レースを見てからおよそ一週間がたった頃、内藤と毒男は再びジムで出会った。
内藤から覇気が感じられないことに気付きながらも、毒男はそれをおくびにも出さず、ストレッチをしながら会話をした。

('A`)「んな甘い話あるか、残念ながら購入しなくてはならない、できればピストとロードの両方を」

( ^ω^)「あれ? だったら適性試験よりも実技試験のほうがよくないかお?
  どうせ学校に入ってからピストに乗るわけだし、倍率も低いんじゃなかったかお?」

('A`)「あと二週間もすれば入学試験の受付が始まるってのにお前……。
  それに、確かに実技の方が倍率は低いが、そんな甘いものでもないぞ?」

( ^ω^)「大丈夫だお、体はできているし、乗り方を覚えるだけじゃないかお?」

(#'A`)「……」

カチンときたが、初心者の戯言だと自分に言い聞かせ、毒男は溜息で返事することにした。

(#'A`)「その乗り方一つのために、俺たちはプロになってからもいつも練習してんだよ。
  そんなこと言ったら陸上だってただ走り方覚えるだけじゃねーか、バカ野郎」

(;^ω^)「お……すまないお……」

陸上に例えられることで、いかに前言が後先考えない発言かを理解し、窘められた理由を自覚して、内藤は素直に謝った。
スポーツマンとしてこの上ない無礼だった。
7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:30:06.21 ID:yl8xdR3U0
('A`)「……で、だな。別に実技試験受けるのはいいと思うし、それに越したことは無い。
  しかし、お前はそれを誰に習うんだ?」

( ^ω^)「毒男がいるお」

('A`)「無理だよ」

毒男は内藤の言葉をきっぱりと突っぱねた。

('A`)「俺なんてまだまだB級3班のヒヨッコだ、試合経験も少ない。
  教えることよりも教えられることの方がよっぽど多いよ」

( ^ω^)「じゃあ毒男はどうやって乗る練習をしたんだお?」

('A`)「……お前は本当に競輪を知らないんだな。
  そうだな、陸上でも監督やコーチっていただろ?」

コーチという言葉に、内藤が敏感に反応した。
思い出したくもないコーチの顔、風羽の裏切り、頭が一気に重くなる。

('A`)「競輪では『師匠』っていうのを作るのが一般的なんだ、ほとんどは現役選手と師弟関係を結ぶんだ。
  そして直に鍛えてもらい、練習を組んでもらう、師匠っていのは誰よりも自分を理解してくれる人だ。
  俺も高良師匠に世話になってんだ、必要なら頼んでやろうか?」

8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:32:02.66 ID:yl8xdR3U0
( ^ω^)「いらないお」

('A`)「……ん?」

( ^ω^)「師匠なんていらないお、くそくらえだお」

内藤の怒り様からただ事とないと踏んだか、毒男はおずおずとやわらかく口を挟む。

('A`)「適正試験ならまだしも、実技試験を受けるならほぼすべての選手は師匠や相応の選手のもとにつくもんだ。
  ましてやバイク経験もない駆けだしだろ、師匠なくして走り方を覚えるなんて無理だよ、言い切ってもいい」

( ^ω^)「だったら毒男の練習を教えてくれお、僕も同じ練習をするお」

内藤が必死に懇願するものだから心揺れそうになったが、それもまたできない。
毒男は歯を食いしばって、すまないと思いながらも辛らつな言葉を投げかけた。

('A`)「俺の練習は誰のものでもない、師匠が俺の毎日の調子を見て指示してくれる、大切な俺のもんだ。
  何よりも試合どころかピストにも乗れない奴には無謀な話だよ、バカにすんな」

(;^ω^)「でも……!!」

毒男には、内藤が師弟関係を拒む理由が分からなかった。
師匠といっても練習を逐一見てくれるだけで、私生活にまで必要以上に干渉してくるわけではない。
現役選手の経験を踏まえた言葉とメニューだ、それ以上心に響き自身を鼓舞できるものがあるだろうか。
10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:34:01.92 ID:yl8xdR3U0
('A`)「経験もない人間の言葉とは違うんだよ、分かるだろ、必要なんだよ!」

(;^ω^)「……」

('A`)「まぁいいよ、ただ俺はお前をコーチしてやることができなければ、練習をつけてやるつもりもない。
  その代わり、必要だったらいつでも師匠に話はつけてやるよ、だからもっと考えろ」

言うと毒男はストレッチを終え、トレーニングへと移行した。
内藤は黙々と、何かを考えるようにずっとストレッチをしていた。


( ^ω^)(師匠……かお)

結局その日、二人はこれ以上言葉を交わすことは無かった。


12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:36:39.26 ID:yl8xdR3U0
次の日、内藤は必要と言われたバイクを見に店へと向かった。
自転車の専門店でもピストを置いているところは少ない、気まずい思いでドクオに連絡すると、気さくに対応してくれ安堵の息を吐いた。
そして紹介された個人経営の小さなショップへと足を運んだ。

( ^ω^)(小さいのに、所狭しと自転車が並んでいるお……)

足の踏み場もないとはこのことか、展示されているバイクを見たくとも、その付近へ移動することもままならない。
並んでいるのは普通のママチャリに電動自転車、マウンテンバイクにロードバイクなどまちまちだ。

驚くべきは、ロードバイクの方がピストレーサーよりも高価なことだ。
ピストの方がスピード出るし専門的であるが、作り自体はロードよりも簡単なゆえ安いそうだ。
もっともピンキリと言ってしまえばそれまでだろうが。

天井に吊るされた沢山のバイクを見ながら、何が違うかも分からず目移りだけを繰り返していた。

( ^ω^)(僕は初めてだし、ロードバイクのほうが利便に長けていそうだからいいお。
  とりあえず乗りたいんだお、僕は)

そしてロードバイクが列挙されている場所へ移動したが、どれを見てもいい値段がするし、
見比べてもどこがどう優れているのか、値段の違いが分からない。
安いもので済ませたいが、果たして本当に安いものでいいのだろうか、疑念が積もる。

( ^ω^)「うーん……」

ξ゚听)ξ「あら、不審者じゃない」

(;^ω^)「お?」
14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:38:09.45 ID:yl8xdR3U0
ほとほと困り果てて唸る内藤が声に振り返ると、以前に競輪場の周りで出会った女性が立っていた。
愛想の笑顔を一つとして振りまかず、内藤の隣に並ぶ。

ξ゚听)ξ「なに、結局バイク探してんだ」

( ^ω^)「悪いかお」

ξ゚听)ξ「誰も悪いだなんて言ってないじゃない、勝手な被害妄想止めて」

ツンとした態度で、彼女は内藤へと顔を向けた。

ξ゚听)ξ「そういえば、自己紹介まだだったわよね?
  私は津出、よろしく」

目がよろしくと言っていない、そう思いながら内藤も自己紹介をする。

( ^ω^)「僕は内藤だお」

ξ゚听)ξ「それで、あんたは結局ロードレースでもするの?」

名前を聞いたくせに名前を呼ばない。
どこまでのしおらしさのない女性だろうかと、悪態をつきながらも問答を続けた。

( ^ω^)「違うお、当然目指すは競輪選手だお」
16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:40:04.61 ID:yl8xdR3U0
ξ゚听)ξ「……あんた、ピストとロードの大まかな違いはつくわよね?」

( ^ω^)「ギアの違いだけだお、ギアが可変なのがロードバイク、ギアが固定なのがピストレーサーだお。
  それでまずは乗り慣れようと思って、ロードバイクを見ているんだお!」

ロードバイクとピストバイクの見分けもつかないと思われてはたまったものではない、内藤は慌てて否定した。
しかし返答が不愉快だと言わんばかりに、津出は口を尖らせる。

ξ゚听)ξ「あんた、競輪学校試験は適性試験受けるのでしょうけれど――」

( ^ω^)「いや、僕は実技試験を受けるんだお。
  だからこうやってバイクの練習をしようと」

ξ#゚听)ξ「バカじゃないのっ!?」

毒男も含め、一体幾度バカにされればいいのか。
しかし競輪の基礎も知らない内藤だ、しゅんとなって口を窄めた。

ξ#゚听)ξ「あんた、これから時間ある?」

(;^ω^)「あるお……」

ξ#゚听)ξ「じゃあ、ちょっと付き合いなさい」

津出はそう言うと、携帯を取り出してどこかへ電話をかける。
そして何かの確認を取ると、慌てて店から飛び出した。
18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:42:09.63 ID:yl8xdR3U0
ξ゚听)ξ「あんた、交通手段は?」

( ^ω^)「バイクだお」

ξ゚听)ξ「なによ、ロードかピストはもう持ってるの!?」

(;^ω^)「いや、自動二輪ですお」

ξ#゚听)ξ「……」

津出は何か色々と言いたげだったが、内藤へ冷ややかな視線を向けるだけで言葉は出さなかった。
そして上着を脱いで鞄へ詰め込むと、ヘルメットを取り出してかぶる。
店の駐輪場に到着するころには準備を整え、最後に小さなベルトでズボンの裾を止めると、ロードバイクにまたがった。

風の抵抗を減らすためか、肌とぴっちり一体化した服装は、格好良いだけでなくどこか色っぽくも見える。
バイクにまたがりながら靴紐を止めると、内藤に合図して、そこからぐっと踏みしめてゆっくりとスタートをした。
内藤もキーを回し、大きな音と共にバイクを走らせた。

すぐにもスピードを出して、先を行く津出に並ぶ。
彼女の横顔は非常に端正で、挑戦的な目つきがバイカーの服装にマッチしていた。

( ^ω^)「どこ行くんだお?」

ξ゚听)ξ「どこでもいいでしょ、だいたいここから10キロくらいよ。
  それよりもあんた、どうせなら私の前を走って風除けしなさいよ」

( ^ω^)「はいはい、分かりましたお」
21 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:44:03.49 ID:yl8xdR3U0
ξ゚听)ξ「ブレーキは早い目にかけてよ、いきなりだと危ないから。
  あと速度はせいぜい35キロくらいでお願い」

( ^ω^)(35キロって原付かお)


そのまま津出の指示通りにバイクを走らせ先導していくと、次第にその方角でどこに向かっているのか、内藤にも見当がついてきた。
そして目的地まで一直線の道路へ出たことで、ようやくそれが確信に変わる。

( ^ω^)「もしかして向かっている先って競輪場かお!?」

ξ゚听)ξ「そうよ、それじゃ、速度上げて」

( ^ω^)「……お?」

ξ゚听)ξ「45キロで競技場まで行って」

(;^ω^)「……!!」

45キロ、内藤の口が強く締まった。
ハンドルを回して速度を上げる、望み通りの45キロになったが、津出はリズムをとるように呼吸をして、普通に追走していた。

普通の女性ですらこの速度で走れるのか。
いや、違う、この女性は一般女性ではない、内藤はそれをなんとなしに感じていた。


この女性は間違いない、生粋のロードバイカーだろう。

24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:46:05.04 ID:yl8xdR3U0
現地に到着すると、津出はわずかに息を弾ませただけで意外にもあっけらかんとしていた。
ヘルメットを外すとヘルメット跡が少しできていて、思わず笑いそうになった内藤はきつく睨まれた。

ξ゚听)ξ「ま、お洒落の一つもせずに、長い髪でバイクなんてこいでたらそれは滑稽でしょうね」

こう皮肉の利いた言い方をされてしまうと、内藤はうつむくことしかできない。
スポーツマンシップをどれだけ持っているつもりでいても、常に一人だった彼に失言やお粗末な失敗は、ずっと付きまとっていた。

( ^ω^)「すまないお……」

ξ゚听)ξ「別に、私だってそう思うし」

( ^ω^)「いや……」

素直に謝ることはできても、相手を認めることはできなかった。

「そんなことは無い、すごかった」。
そう言うだけなのに、常に孤独だった彼は相手を思い遣った言葉を口に出すことができなかった。
改めてこんな人間と長く付き合っていた風羽という彼女の存在を大きく感じた。

ξ゚听)ξ「ほら、何ボケっとしてんの、さっさと来なさいよ。
  私はちょっと話してくるから、あんたはトラック周りでストレッチでもしていなさい」

( ^ω^)「……」
27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:48:03.82 ID:yl8xdR3U0
何とも自分勝手な女だと思うも、内藤はもしかしてピストが借りれるのでは、あわよくばトラックで走れるのかもしれないと期待に胸を弾ませた。
そうでなければストレッチをさせる理由など世界中のどこを探しても見つからない。

トラックでは、三人の選手がラインを作ってタイムトライアルをしている最中だった。
しかし三人では、その駆け引きや迫力はレースと比べ物にならない、衝突することもなく純粋にタイム勝負をしていた。

内藤はぼんやりそれらを眺めながら、太ももやアキレス腱を入念にストレッチしていると、津出が歩み寄ってくる。

ξ゚听)ξ「手筈がついたわ、30分後にここが空くから、20分だけ私たちが使ってもいいそうよ。
  その代わり、ちょっとこっちで簡単に手続きしてちょうだい、事故されても困るから。
  ロードとピストも借りられるから、ちょっとサイズ合わないかもだけど、そこは勘弁して」

(*^ω^)「おっおっ!?」

想像以上の待遇の良さに、内藤は思わず恍惚の表情で喜びを漏らした。
津出は一体どんなマジックを使ったのか、あまりに想像通りの事の運びように、嬉しさの反面一抹の不安もよぎった。

とりあえずまだしばらく時間がある、内藤はストレッチの手を休めずに昂ぶる心と疑心を落ち着けた。
津出は時間を持て余すのか、そんな内藤の隣に腰を下ろした。

ξ゚听)ξ「ねぇ、アンタは本当に競輪をやっていく気?」

( ^ω^)「もちろんだお」

ξ゚听)ξ「なんで?」
29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:50:01.54 ID:yl8xdR3U0
出し抜けの質問に、内藤は返答に窮する。

なぜか、今となってはもうその道しか残されていないから、そんな下らない理由が一番大きかった。
もう後戻りできる道すらなく、身も入らない練習にこうやって明け暮れているのだ。

そうだ、どうして自分はこうも自転車に乗りたいのだ、どうしてそうしたいと思っているのだ。

( ^ω^)「……風が、感じられるからだお」

ξ゚听)ξ「だったら自動二輪でも運転していなさいよ」

(;^ω^)「そんな根も葉もない……自力によって、必死に作り上げる風を感じたいんだお。
  すべてを忘れられるような、爽快な風を」

ξ゚听)ξ「へぇ……」

津出は得意げに笑って見せると、内藤に向いて優しく声をかけた。

ξ゚ー゚)ξ「だったら、今日でその風に裏切られないように、くれぐれも気をつけてね」

( ^ω^)「……!」

楽しそうな表情が癪に障る、そして「裏切る」というワードが風羽を連想させ、内藤をさらに奮い立てた。
上等だ、やってやろうじゃないか。
31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:51:58.83 ID:yl8xdR3U0
約束の時間5分前にもなれば、走っていた選手勢がひきあげていく。

ξ゚听)ξ「すみません、無理言って頼んでしまって」

  「いいよいいよ、どっちにしろ飯食わんと体も動かんしねw
  なによりツンちゃんの頼みだったら、聞かないわけにはいかないよ」

ξ゚听)ξ「ありがとうございます」

現役の競輪選手だろうか、比較的若そうな背中を見送った後、トラックには誰もいなくなった。
津出が、準備していたロードバイクとピストレーサーを内藤の隣に置いた。

( ^ω^)「っていうか、ツンって呼ばれてんのかお……?」

ξ゚听)ξ「そうよ、だからどうだって言うの?」

( ^ω^)「いいえ、とても似合う呼び名だと思いますお」

つんけんつんけんしている辺りが、この上なく言い得て妙だ。
思わずにやついた内藤を気にも留めず、津出はまたベルトでズボンの裾を縛ると、ヘルメットを被る。

ξ゚听)ξ「あんた、スパッツくらいはあるんでしょうね?」

( ^ω^)「お、一応このあとジムに行こうと思っていたから……」
35 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:54:14.38 ID:yl8xdR3U0
ξ゚听)ξ「だったらさっさと着替えて来なさいよ、時間ないんだから。
  あ、肘と膝のサポーターも用意してあるから、装着しておいてね」

( ^ω^)「おっおっお!!」

慌てて着替えてくると、用意されたヘルメットをかぶり、少し大きめのシューズを履くとロードバイクにまたがった。
津出はピストにまたがると、とりあえずとトラックの一番内側を並走する。
初めは少しよたよたとしたが、幾度とジムで練習した室内バイクを思い出し、持ち前の筋肉ですぐにもバランスを保つ。

シューズをペダルに固定すると、足を動かすたびに車体が揺れ、バランスを保つのが些か難しく感じた。

( ^ω^)「おおー、やっぱり風が最高だお……」

ξ゚听)ξ「いい、足は下に押すだけじゃダメ、しっかりと回転させるイメージよ。
  そうじゃないと簡単に減速して転ぶからね」

( ^ω^)「分かったお」

回転のイメージを描きながらも、仮にもトップアスリートを自負している内藤だ、転ぶなど考えもせずに足を動かした。
次第にスピードに乗り、コーナーでは勾配のない最内を走る。
カーブでは乗り慣れていないだろうからか、ハンドルが少し震えたが、うまく曲がる事が出来た。

そしてバンクを眼前にして改めて、その異常な勾配に気圧された。

(;^ω^)「……」
37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:56:45.56 ID:yl8xdR3U0
比喩でなく壁そのものだ、普通に立つことすらままないだろう激しい傾斜。

この壁を本当に走れるのだろうかという思い半分に、重力にも負けないスピードで疾走すればこの上ない愉悦だろうと浸る気持ち半分。
ついつい一人前のレーサーとして、試合でバンクを疾走しているイメージまで浮かべてしまう。

ξ゚听)ξ「ライドのコツとしては……体は……それで、背筋は……」

( ^ω^)「なんとなく乗り方はわかったお、それよりもはやくバンクに乗りたいお」

ξ゚听)ξ「……。意欲的なことで非常によろしい」

津出は一周の後、メインストレートでゆっくりと止まる。
内藤もブレーキを使い静止するとロードバイクから降り、シューズを変更し、津出の乗っていたピストレーサーへと足をかける。
津出のサイズでは小さいかと思ったが、どうやらサイズとしては内藤に合わせたもののようで、苦もなく体に馴染んだ。

またがってみると、ロードバイクに比べギアがないぶん作りはとても単純で、何とも脆そうな印象を受ける。

( ^ω^)「……ブレーキは?」

ξ゚听)ξ「ないわよ、だから回転とは反対方向に足の力を込めて、速度を落として止まるの。
  私が止まるところ見てなかったの?」

( ^ω^)「見てたけどそんなこと分からなかったお」

ξ゚听)ξ「観察力不足」
39 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/02(金) 23:59:18.04 ID:yl8xdR3U0
ぴしゃりと言ってのけると、津出はロードバイクをトラック脇にどける。
そして救急箱を持ってきた。

ξ゚听)ξ「それじゃ、バンクに関する注意。
  まず、速度が遅いと転ぶからバンクまでは最大限に加速すること。
  ここで、ピストはペダルの空回りがきかないから、回転するように足を回し続けることを忘れない」

( ^ω^)「はいですお」

ξ゚听)ξ「足が回転に追いつかなくなった瞬間に転ぶから、下りの時はなおさら気を抜いたら駄目だからね。
  そしてバンクでは絶対に減速しようとしないこと、特にブレーキもないからって急な減速は絶対にしちゃ駄目だから。
  軽くトラックを一周して感覚掴んでから、バンクに向かいなさいよ」

( ^ω^)「そうさせてもらうお」

合図をして乗り出すと、感覚はロードと似ているが、細微で全く違う技術が要求された。

空回りが利かないから、下方向への踏み込みだけで車輪を回そうとしても思うように力が伝わらず、転びそうになる。
回転するように足を回す、なるほどそうしなくてはスピードは上がりっこない。
ギアが無い分スタートは力を込めて上手く回さないとすぐにふらついた。

そしてスピードが出てくると足がペダルと共に勝手に回転を続け、バランスを崩しそうになる。
ハンドルを無闇矢鱈に動かしては不安定になり危険を感じる、ただのカーブですら怖く思えた。
41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/03(土) 00:01:16.56 ID:kFKGN5Nx0
そして足が固定されている分、回転のリズムが崩れるだけでバイクは簡単にぶれる。
なるほど、安定した回転をしなくてはまっすぐ走れないし、すぐさま転びそうだ。
急な加減速は不可能で、ゆっくりと力を加えていかないと疲労が溜まるだけでなく、バランスが途端に崩れてしまう。

しかし感覚的に、ロードバイクよりも速度が出そうな手ごたえは感じた。
自分などでは駄目だろう、それでも乗り方をちゃんと覚えさえすれば、きっと毒男の言っていた時速70kmの世界にいけるのだろう。

考え事をしながら乗っていると、すぐにもトラックを一周して、再びメインストレートにやってくる。
津出を視界に捉え、内藤はバンクへと向かうため、加速を図る。

(;^ω^)「つおっ……!!」

瞬間にバランスを崩し、転びそうになるも持ち前の身体能力で無理やり体勢を立て直す。
立て直すと同時、また逆方向へと転びそうになって、蛇行運転が続く。

ξ゚听)ξ「いきなり踏み込んじゃダメ、回転のイメージを忘れずに、ゆっくりと力を入れて!」

(;^ω^)「……っお……おお!!」

言われたとおり意識を向けると、ゆっくりながらも次第にスピードに乗り始める。
そしてスピードに乗ると風が轟音のように耳にまとわりついた。
減速などできない、足は放っておいても回転をするし、回転を止めるとお尻が浮き上がりそうになる。
43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/03(土) 00:02:46.90 ID:kFKGN5Nx0
(;゚ω゚)「――ッ!!!」

瞬間、内藤の脳裏を、200mのカーブで体が浮く感覚が掠めた。
恐怖で止まりそうになる体、しかし回転する足を止めては、反動で体が跳ね上がりそうだ。
何よりも目の前のバンクを見ると、その強烈に聳え立った壁に速度を落として向かうなどとは考えられない。

(;゚ω゚)(カーブ、トップスピード、怖い……ッ!!)

スピードをどんどんと上げていくも、慣れない筋肉のためか、早くも足が悲鳴を上げ出した。
しかしペースを落とせるか、耳にまとわりつく轟音が考えと速度を打ち消しにかかってくる。
スピードを落としたくないというのに、強烈な風の壁が行く手を阻む。

(;゚ω゚)「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

内藤は力任せに乗ったスピードで、強引にバンクへと乗り込んだ。


体が一気に斜めになり、突如現れた左右への力に、体が固まる思いだった。
重力に引きずられる、しかし逆側に傾けようとすると、今度はそちらへ転びそうな錯覚に陥った。
震える手でバー(ハンドル)を強く握り締めれば、もう1mmたりとも動かせない。

腕だけでない、体だってもう動かしたくない、転んでしまう、しかし足は勝手に回転しようとする、止めてくれ。
正面からの風が速度を落とそうとする、遠心力がなくなったら転ぶしかないというのに。
45 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/05/03(土) 00:04:56.25 ID:kFKGN5Nx0
ちらりと横を見ると、地面が遠かった。


血の気がひいた。


バンクの中段くらいだろうのに、どうしてこうも高度があるのだ、怖い、怖い。


速度が落ちる、転ぶ、転ぶ――



( ゚ω゚)「ああああああああ!!!」


瞬間に内藤の体が浮き上がり、ピストは横滑りしたかと思うと、おもちゃのように簡単に宙を舞った。

そしてバンクの勾配が地面を錯覚させ、内藤は位置と高さを見失った。

重力、遠心力、進行方向とあらゆる外部からの力に身を任せ、自転車もろとも壁に打ちつけながらバンクを転がっていく。


空と地面が何度も逆転した。



風が嫌いになるとはこのことか、なるほど競輪も彼に居場所を与えてはくれなかったのだ。

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