34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:26:02.24 ID:raN78Cfe0
     第二十九話「内藤と風羽」


彼女の家は比較的大学から近いところにある。
内藤は実家で一晩を明かし、朝一で電車に乗って長岡の取り仕切る競輪場を一度通り過ぎると、大学の二駅手前で降りる。

駅を出て、今度はバスに乗り三十分ほど揺られると、もうすぐそこだ。

足の怪我直後に携帯を変えた時、古い携帯を廃棄するとともに彼女の電話番号の類は一切なくなった。
何年と一緒にいたにも拘らず、携帯がなくなってしまっただけで彼女のアドレスから何まで一切が霧がかったもやのように模糊となってしまった。
どれだけ携帯というものに依存し、どれだけ彼女を蔑ろに扱っていたのかと、ふと悲しさに心が沈んだ。

記憶の中の彼女の家は曖昧で、家の風貌から住所に携帯番号、メールアドレスすべてが不明だった。
どれだけ質素な付き合いをしていたのだろうかと、直に思い知らされた。
結局は友人に聞いたことで、ようやく彼女の家までの道のりをおぼろげながらにも思い出したのだ。


いざ玄関に立つと、体が酷く硬直した。
歯を喰いしばったまま、何を言うわけでもないのにまるで言葉に詰まったように息が喉元につっかえた。

インターホンを押す事自体が核の起動スイッチであるまいに、押してしまえばまるで世界が崩壊するかのごとく渋ってしまう。
指は震えだし、どれだけ息を呑み殺しても治まらずいよいよ踏ん切りはつかなかった。

風羽の家は共働きであるから両親は昼間は不在のはずだ、押せば出てくるのは間違いなく風羽だ。
そう思うからこそ、ついぞ指がインターホンを押すことはなかった。


そんな自分が情けないばかりで、大きくため息をついてふと振り返った内藤は、さらに仰天した。
36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:28:08.37 ID:raN78Cfe0
(;^ω^)「……!?」

(*ノωノ)「……せん……ぱい?」

まさかタイミングよく風羽が家に帰ってくるところに出くわすなど思いもしなかった。
いや、もしかすると相当長い時間家の前で頓着していたのかもしれない。
いつからいたのだろうか、風羽も相当に目を丸くして、今にも逃げだしてしまいそうだった。

ふとそんな事を考えた途端、内藤は慌てて手をかざすと、風羽に制止を促す。
自身の気持ちはなんとか落ち着けるも、どれだけ頑張っても彼女を落ち着かせるために笑顔を作るまでの余裕はとうとう生まれなかった。

(;^ω^)「風羽、久しぶりだお、突然ごめんだお。
  ……今日は、話があってきたんだお」

内藤が必死に温和に話しかけようとも、風羽は強張って小刻みに体を震わすばかりだった。
彼女の恐怖は相当に大きなものであろう、まるで殺人犯と対面でもしたかのようだった。

予想だにしない対面におののき顔を潰し、涙を流す生理的現象すら忘れるほどの畏怖を伴っている。
どれほどまでにすざまじい恐怖と対面しているかを計り知ることは到底できないと、内藤は内心酷く傷つきもした。
過去に付き合っていた男と対面するのはこうも恐ろしい事なのだろうか、先までの渋りから一転、内藤はあまりの傷心に言葉が続かなかった。

それだけひどいトラウマを植え付けたのは内藤なのだ、それを取り除くことこそまた、内藤にしかできないことだ。

買い物袋は風羽の手から離れ、地面に落ちると中からリンゴが転がり出てきた。
ああ、改めてみて見れば彼女は随分と痩せたのではないか、母親のように、まるで病人のようだった。
もとからか細い体躯であったが、それにしても痩せすぎだ、いや、痩せるというよりはやつれるという表現が的確なのだろう。

37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:30:08.83 ID:raN78Cfe0
(;^ω^)「本当に、ゴメンだお。
  何を言っても駄目だと思うお、それでも風羽の気持ちも何も知らずに以前は本当に悪かったお、謝ることしかできないけれど……
  僕はずっと独りよがりだったから、こんな時にどんな事をして誠意を見せればいいのか分からないんだお、だからただ平謝りしかできなくて……」

必死に訴えようとすれば言葉は勝手に口をついて出た。
思うがままに意味の分からぬ言葉を放つからだろう、ふと風羽の表情も若干和らいだように感じた。
その表情にはまだ訝しがる気持ちが十分に見えているも、少し和らいだだけでも内藤には飛び跳ねたい程に嬉しかった。

風羽はポケットから鍵を出すと、無言で内藤の隣を過ぎ去り、玄関のドアを開けた。
そして内藤を手招きしてみせる。

(;^ω^)「……」

内藤は促されるがまま、家の中へと足を進めた。



応接室に通されると、そこで気まずく待つ内藤に、風羽は丁寧にお茶を出すと対面にゆっくりと横座りする。
その表情はまるで風羽こそが後ろめたいことをしていたかのように暗く俯いており、また内藤の心は引き裂かれんがばかりに苦しくなった。

(*ノωノ)「先輩、私の家を、よく覚えてましたね」

切り出し方は、まるで来られたことが迷惑だと言わんがばかりの言葉だった。
気押されないように内藤は表情を凛と構え、目線をまっすぐにして風羽を見つめる。

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:32:08.56 ID:raN78Cfe0
( ^ω^)「ああ、毒男に聞いたんだお」

(*ノωノ)「……そっか、毒男くんか……それじゃあ、もう知っているんですね。
  ……毒男くんと赤外線でアドレスを交換したのですけれど、それがこんな形であだになるなんてね……。
  ……先輩、怒っていますよね?」

( ^ω^)「怒ってないお、何を怒ればいいのか分からないお」

(*ノωノ)「嘘、たぶん先輩、心の底ではものすごく怒っていると思う。
  だから今日こうして私の家に来たんじゃないんですか、そうしてこうやって一緒にいるんだと思うの。
  ……ごめんなさい、何を言ってももう許されない事は分かっています、でも私こそ謝ることしかできなくて……ごめんなさい」

内藤には風羽が何を謝ればいいのかさっぱり見当がつかなかった。
いや、厳密に謝ることがないのに頭を下げる風羽に、確かに怒りたい気分でもあった。
悪いのは誰が見ても内藤なのだから、もっと堂々としていろと。

もっともそんなで怒っては見当違い甚だしく、またつまらぬ諍いを起こすだけだ。

( ^ω^)「毒男から手渡される資料が、やけに見易いと思ったんだお。
  どこかで見たことある、見慣れているまとめ方されていて、ようやく分かったんだお……ずっと選手を調査してくれていたのは、風羽だったんだって」

毒男から渡される資料、まとめ方など十人十色千差万別であるにもかかわらず、内藤は初見でやけに見易いまとめをされていると感じた。
その時には気付かなかったが、今から思えばそうだ、陸上時代にマネージャーが選手の記録をまとめた、まさにあれと同じ形式だったのだ。

39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:34:44.87 ID:raN78Cfe0
(*ノωノ)「毒男くんとはね、内藤先輩の家の前で初めて会ったの。
  ……先輩には内緒にして欲しいって言ったのにな……」

( ^ω^)「毒男は黙っていてくれたお、僕が気付いたんだお、影から僕を支えてくれる存在に」

(*ノωノ)「その時にね、私の鞄から情報科目の教科書が飛びだしていたんだって。
  それで私が大学で情報系の科目を専攻していると目途を立てたみたい。
  調べ物の時なんて、わざわざ学校に来て、部活の人から私の講義予定を聞いては教室の前で待っててくれたんだから」

風羽の言い方はまるでそれこそが失敗だったと言いたげで、内藤は強く奥歯を噛んだ。
そんなに自分と会いたくなかったのか、心より謝りたいと思っている内藤とは裏腹に、風羽は決してその償いを認めようとはしてくれなかった。

辛く悔しく悲しく、従来までのすれ違いがいちどきに今の二人にのしかかってきているのだ。

(*ノωノ)「毒男くんは、私に気を使ってくれただけなの。
  私が先輩のために何かをしたいって思っていたことを知っていたからこそ、こうやって私にチャンスをくれたの。
  別に毒男くんは悪くないんです」

( ^ω^)「別に毒男を悪く言うつもりもなければ、言っているように風羽を責め立てるわけじゃないお。
  そうやって陰で支えてくれて本当に感謝していると、お礼とお詫びをしたいんだお」

(*ノωノ)「違う、私は償いだけで、毒男くんに言われただけで何にも出来ていない!
  先輩に償いも果たせていないの!」

(#^ω^)「だったらどうして津出師匠にあんな電話したんだお!
  あれがなければ僕と津出師匠は仲違いしていたに違いないお、あの風羽の電話があったからこそ今こうしてここに来ることができたんだお!」
41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:36:40.58 ID:raN78Cfe0
師弟関係を結んで間もない頃、津出に隠れて練習をしていた内藤、そこにかかってきた一本の電話。
陸上のコーチからだと思っていたが、コーチは津出のことを、そして競輪のことを本当に知らなかったのだ。

そうすれば導かれる答えはただ一つ、内藤の性格をよく知っていて、いつもそばにいた存在……風羽しかいない。
結果的にはその電話があったからこそ決裂を未然に防ぐ事が出来、今こうしていられるのだ。
それが彼女の功績と認めないなど納得がいかない、そう言われてしまえばこの感謝をどこの誰にぶつけろというのだ。

(#^ω^)「何もできていないわけないお、風羽がいたからこそ、僕はまたこうして目標に向かって邁進できているんだお!」

あまりに自分を卑下する風羽にもどかしく思い、どれだけ彼女が力を与えてくれたのか、つい感情的に大きく叫びあげると、あろうことか風羽は小さく縮こまった。
彼女の存在は大切で欠かせないものであったと、彼女なくして今の内藤は無かったと言いたいだけであるというのに、
感謝を口にしたいだけだというのに、彼女はそのすべてを真っ向から拒んだのだ。

自分が悪かったのだと頑なに譲らず、ただ神に祈りでもするかのように受動的で、恐怖に震えては「ごめんなさい」と繰り返した。

話になりもしない。

内藤は湧き出た蟠りのぶつけどころを失っていた。
必ず怒られるのだと、内藤を正当化してはひたすらに謝って譲らない風羽。
しかしこの風羽を作り上げたのは紛れもない、過去の自暴自棄な内藤であるのだ。

反省と改心を相手に伝えることもできないのだ、過去の内藤は最後にとんでもない試練を設けていった。
これを超えてこそ、内藤は真に変わったと言えるのだろう。
すぐに怒りを感じてしまっているようでは、結局のところ何一つと変わっていないのだ。

内藤は大きく息を吐いて心を落ち着けると、テーブルに肘をついて真面目な面持ちで彼女に向いた。
だったら今回は内藤がとことん付き合ってやろうじゃないか、彼女の我がままに。
どこまでも付き合って、過去のすべてを払拭しようじゃないか。
43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:38:44.04 ID:raN78Cfe0
( ^ω^)「……風羽、本当に、本当にすまなかったお」

(*ノωノ)「いいんです、内藤先輩は謝る必要なんてどこにもないんです、ただ私がいけないんです」

( ^ω^)「だったら風羽の何がいけなかったっていうんだお?」

聞くと彼女は肩を震わせ、しばし無言でいた。
内藤が黙って彼女を見つめ続けると、震える口が僅かに動いた。

(*ノωノ)「先輩に黙って……先輩の家に行きました、毒男くんに出会って競輪を目指していることを知りました。
  先輩に隠れて選手のことを調べて毒男くんに預けました、勝手に津出さんに先輩の過去を話しました。
  全部私は隠れて勝手にしました、先輩が怒るのも当然です、私でも先輩の立場ならきっと怒っていますから……」

必死に羅列したすべてのことは、まったく頓珍漢な返答だった。
どうしてそうも嫌われようとするのだろうか、しかしそれらの理由に共通して「先輩に黙って」という理が付いていたことだけが内藤には堪らないほど辛かった。

( ^ω^)「それらは全部、僕のためじゃないのかお?」

(*ノωノ)「でも、勝手にこんな事をしました。
  本当に誰に聞いたわけでもないんです、私一人の勝手な判断なんです、だから本当に私が悪いんです」

( ^ω^)「全く分からないお」

(*ノωノ)「嘘、先輩は絶対気付いています、分かっているから……だから今日も来たんですよね」

どれだけ問答をしても意思疎通は図れず堂々巡りとなるだろう、それを直観した。
風羽の頭の中では、彼女は内藤の許可なくして何もしてはいけないのだ。
今の内藤ですら、彼女の目には昔と何ら変わらずに映っているのだろう。
46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:40:53.17 ID:raN78Cfe0
風羽のその言動は明らかに過剰な畏怖を抱いたものだった。
昔の男がヨリを戻しに来たと思っているのだろう、またその男との辛い日々を送る自分に怯え竦み、格段の恐怖心を抱いているのだろう。
それでも諦めきれず捨てきれないお人好しの彼女は、自分の非をもってして内藤に諦念を抱かせようと必死なのだろう。

それほどまでに、風羽にとって内藤は恐れを抱く存在であったのだという失念、そして自分が彼女に信じてもらえていないという失望を抱きながらも、
彼女の心にまだ内藤を想う気持ちが少しでも残っているかもしれないと、内藤自身さえ諦めなければいいのだと逆に心を鼓舞して強く持っては彼女に向き直った。

彼女の言い訳は滅茶苦茶だ、必ずどこかで綻びをみせて破綻する。
内藤はなにもヨリを戻そうなどと都合のいい事を掲げるつもりはないのだから。
ただ過去とは異なる今の彼を見て、本気の謝罪を受け取ってもらいたいだけなのだ。

ここで彼が信じてもらえるか否か、それこそが過去の清算につながるのだ。

( ^ω^)「風羽、勘違いしないで欲しいお。
  なにも僕は風羽を責めることはおろか、もう一度一緒になろうだなんて厚かましい事を言いに来たんじゃないんだお。
  何度でも言うお、僕はただ風羽に謝りたいんだお」

(*ノωノ)「いいです、謝ってもらう事なんてとてもありません。
  私はどうすればいいんですか、どうすればもう許して貰えるんですか?
  ……謝ってもらう事なんてないのに、謝りに来るわけないじゃないですか……」

わざわざ他人の家にまできて、何の用だと言いたいのか。
風羽の言葉は内藤の胸を鋭く抉った。

彼女も辛いのだろう、内藤とのやり取りはどんどんと底なし沼に引きずられていくように、苦しみを深くしていくのだろう。
48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:43:35.67 ID:raN78Cfe0
つまるところ、彼女は内藤のことを思ってではなく、自身の懺悔として調べ物をしたし津出に電話までかけたのかもしれない。
罪などどこにもないにも拘らず、彼女なりの方法で隠れて償いをしていたのだ、ただ必死にただただ愚直に。

その相手がこうしてすべてが風羽の仕業だと承知の上で目の前に現れたのだから、彼女が混乱するのはもっともかもしれない。


彼女の中で、彼女の罪は一生をもってしても償いきれないほど大きなものなのだろうから。


( ^ω^)「風羽、分かったお、聞き方を変えればよかったんだお。……一体何を僕に黙っていたんだお?」

(*ノωノ)「!!」

その時の風羽の表情は、まるで目の前にナイフでも突き出されでもしたかのように、悲愴に驚嘆に絶望に懺悔……全ての含まれた、観念の表情だった。
すでにナイフは彼女の体に刺さっており、もう少し力を入れでもすればきっと、心臓へと到達したことだろう。
それほどまでに彼女は絶望をありありと表情に滲ませており、慌ててその顔を両手で覆って隠した。

(*ノωノ)「なんで、そんな言い方……そんなこと聞くんですか……」

( ^ω^)「僕は昨日、カーチャンと話をしてきたんだお。
  そうして気付いたんだお、僕には大っ嫌いなトーチャンがいたけれど、それは昔の自分と全く一緒じゃないかって。
  自暴自棄で、時には手を振るって威嚇しては相手を道具としか思わない……まるで昔の僕と風羽のようだって」

そう、昔からずっと風羽は常に黙りこんで何も言わず、内藤だけを一直線に見ていた。
内藤の何に惹かれたのかはわからない、それでも何の取り柄もないような男に、彼女はずっと愚直についてきたのだ。
そんな風羽は母親と一緒だった、以前に母親と似ていると比喩したものだがそれは当然だ、まんま一緒なのだから。

だからこそ、母親が父親に隠し事をして自身を責めていたのと同様、風羽も内藤に後ろめいたことがあって自身を責めているのだと見当はついた。
だからこそ、以前から内藤が浮気をしていることにも薄々感ずいていながらも咎めず、ただ健気に彼のことを応援し続けたのだ。
だからこそ、今回もまた自分が悪いのだと言ってきかず、自身を責め続けるのだ。

49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:45:09.68 ID:raN78Cfe0
(*ノωノ)「私、私……」

( ^ω^)「……うん」

(*ノωノ)「ごめんなさい、隠すつもりはなかったの。
  ううん、嘘、隠していたの、私はずっと、ごめんなさい、だから先輩は私を怒って当然だし、恨んでいても分かります。
  私だって先輩の立場なら絶対に恨んでいました、最低なんです、本当に謝っても済むことじゃないんです」

( ^ω^)「……うん」

(*ノωノ)「そうです、先輩が怪我をした時に、先輩が200mをやっていたって過去を語ってくれたじゃないですか……
  でもそれをコーチから聞いたって言いましたよね、それで先輩は怒られて、私たちは終わってしまったんですよね……
  ごめんなさい、私はコーチから聞いたんじゃないんです、……ずっと知っていたんです」

怪我の直後に内藤が風羽に心許し、過去を告白したとき、彼女はすでにコーチから聞いてその事実を知っていたと言った。
そこに内藤は理不尽な怒りを覚えてしまい、自分には意見をしない風羽に対し見当違いの怒りを抱いたのだ。

しかし、それこそが間違っていたのだ。

(*ノωノ)「実は内藤先輩が200mを走れないことは大学は勿論、高校時代からずっと知っていました。
  それでもあの時はコーチと先輩がすれ違って欲しくなかったから、コーチは知っていて出場に反対していただなんて説明して……
  ごめんなさい、本当に嘘ばっかりでごめんなさい……」

内藤との関係に終止符を打った風羽の言葉こそが彼女の『嘘』であり『隠し事』であったのだ。
内藤とコーチのことを思い、風羽なりの気回しこそが、最終的に彼女の今の、そして往年の『後ろめたさ』であったのだ。
だからこうして過去にも増して、彼女は内藤に負い目を感じ、恐怖におののいてしまっているのだろう。
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:47:20.82 ID:raN78Cfe0
なんという馬鹿なことだ、そこに恣意は幾分とも含まれていない、すべて内藤のためではないか。
確かに内藤は高校以来ずっと200mのことを忘れたくて走っていたし、それに触れられたくないがためずっと黙って隠し通してきた。
だから件の時も200mの参考タイムはなしで出場登録して、一番遅いレーンからスタートしたのだった。

だが、たったそれだけなのだ。

内藤が隠していたその過去を知っていた、ただそれだけで彼女は母親のように、内藤に何も言えずにずっと受動的になっていたのだ。
過去の記録でも追ったのだろう、それで偶然にも内藤が必死に隠していた過去を知ってしまい、秘密を知ってしまった後ろめたさから一人勝手に委縮してしまっていたのだ。


そんな馬鹿な話があるか。

たったそれだけで相手が何をしても許せるような後ろめたさを感じるなど、例え菩薩でもあり得ない話だ。


だというのに、当時の内藤と風羽はその関係が成立していたのだ。
風羽は『勝手に』知った内藤の過去を『勝手に』とてつもなく大きな罪だと受け取り、『勝手に』内藤へ申し訳なさを感じて『勝手に』萎縮していたのだ。

彼のためにと親切が招いた一つのアヤマチ、これなら余程両親のすれ違いの方が理解できる話ではないか。
母親を風羽、父親を内藤に当て嵌めていたがなんということはない、内藤などでは大嫌いな父親役すらとても恐れ多い。



風羽は内藤のために嘘をつき、内藤を騙し、後ろめたく感じては彼に意見する事ができず俯いて彼を応援し続けていたのだ。

これほど素晴らしい相手が他にいてか。

これほど自分のことを思ってくれる人が他にいてか。
53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:49:07.74 ID:raN78Cfe0
内藤は風羽の肩を掴むと、引きよせて強くその体を抱いた。

(*ノωノ)「止めてください先輩、私はとても酷いことをしたんです、私は恨まれて当然なんです。
  先輩が中学時代に200mを走っていて怪我したことを知っていながら、コーチに向かって先輩を200mに推したのですから。
  私は本当に罪深い事をしたのです、もうとても許されるような人間じゃないんです……」

(#^ω^)「もういいお、もう直接コーチと話したんだお、そんなことは全部知っているお!
  コーチは言っていたお、僕が200mを『毛嫌い』していることはなんとなく気付いていたなんて……
  コーチは僕の過去なんて知らなかったお、手をこまぬく中で風羽が僕のためにそうしてくれたんだお!」

(*ノωノ)「でももう取り返しがつかないんです、どれだけ先輩のことを想った行為だったとしても、私には怪我を招くことしかできなかったんです!
  もう先輩の足は返ってこないんです、先輩の輝いていた足はなくなってしまったんです、私には返せないんです!」

(#^ω^)「もう十分代わりのものを返して貰ったお!」

内藤がさらに力を入れると、風羽はぐっと唇を噛んで口を噤んだ。

(#^ω^)「もう風羽には沢山協力して貰ったお、そうして僕は新しい競輪という道を手に入れたんだお!」

(*ノωノ)「でも……」

( ^ω^)「聞いて欲しいお、僕はこれからこの足をちゃんと療養するお。
  沢山の人に恩返しをしながら、昔の陸上の足とは違う、新しい競輪の足を僕は手に入れるんだお。
  だから……それを手伝って欲しいんだお、風羽に」


風羽はもう何も言わなかった。
代わりに内藤をギュッと抱くと、その顔を内藤の胸に埋めた。
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:52:29.34 ID:raN78Cfe0
ようやく伝わったのだ。

内藤が変わったこと、風羽に謝罪をしたかったこと、重ねてお礼を言いたかったこと。

そして……


( ^ω^)「本当に都合が良すぎるかも知れないお、さっきはヨリを戻す気はないなんて言いながら……
  大穴かもしれないお、あまりに確率の低すぎる賭けかもしれないお。
  それでも、それでももし少しでもその気があるなら……もう一度、僕を支えて欲しいお」

(*ノωノ)「せんぱい……」

( ^ω^)「許されるなら、僕にもう一度だけ……チャンスが、欲しいお。
  今まで背負わせた辛さの何十倍もの幸せを、ホショウするお。
  絶対に風羽を苦しめないから、幸せにするから」

風羽は言葉を聞くと同時、嗚咽を漏らして顔を内藤の胸に強く押し付けた。
そうして消えそうな声を、ゆっくりと漏らした。

(*ノωノ)「……私は、先輩が笑っていてくれるなら……それで幸せですから……」

( ^ω^)「僕は、風羽が笑ってくれているなら、いつでも笑っていられるお」

(*ノωノ)「だったら……先輩に、私自身を、賭けます」

風羽はさらに顔を強く押し付けると、次は声をあげて泣いた。
内藤は涙腺の緩むことはなかったが、ただ何かすべてのものに感謝をしたいような、そんな漠然とした幸せだけを強く感じていた。



56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:54:43.06 ID:raN78Cfe0
 

  『はじめまして、本日よりマネージャーとして入部しました、風羽といいます』


内藤が高校二年の時に、風羽は陸上部にマネージャーとして入部した。
一つ違いゆえ、これが二人の初めの出会いだ。

しかし所詮は一選手と一マネージャー、よほど目をかけたり気を遣わない限りは特に目立つ関係とはなり難い。

  「マネージャー、まずは計測お願いしまーす」

マネージャーは特に慌ただしい、跳躍に投擲に短距離に長距離、ひっきりなしに呼ばれ求められるる。
マネージャーの少ない高校では、その雑務はことに多かった。
中長距離は各自で測定できる手前、とりわけ短距離に強く必要とされた。

  「マネージャー、加速走の計測お願いします」

(*ノωノ)「15分後ですね、準備しておきます」

だから内藤と風羽の関わり合いは全体としては多かった。

そのはずだった。


( ^ω^)「それじゃあ僕は坂道ダッシュへ行ってきますお」

内藤は常に一人で練習をしていた。
マネージャーが少ないことは前述した通りだ、そんな中一人の我儘な選手にマネージャーをつかせるわけにはいかない。
マネージャーと最も係り合いを持たない位置にいた選手こそ、内藤だった。
58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:56:40.25 ID:raN78Cfe0
二人が関係を深めるに至る理由は、互いの性分にあった。

内藤は一人で練習しながらも、練習量は人一倍多かったしストレッチだって誰よりも入念に行った。
終わりがけにはちゃんとトラックを清掃していたし、一匹オオカミゆえだろうか、選手としてのプライドは決して忘れなかった。
その他の選手に反抗するかのように、挨拶もきちんとしたし練習では一本一本に全力で挑んでいた。

風羽はそのお人好しさゆえ、マネージャーは一番最後に部活を後にするべきだと考えていた。
特に入ったばかりだ、一年だからこそ余計に先に帰るわけにもいかず、一人ずっと最後の一人である内藤を待っていた。


それでも内藤は素っ気なく、待っていた風羽に礼を言うこともなければ「お疲れ様」の一言だけを添えて勝手に帰っていったものだ。

二人が接近したのは、風羽が入部してから三週間ほどたった雨の日だった。
雨天とのことで、部員が室内で筋トレをして早々に帰る中、内藤一人だけが雨の中坂道ダッシュへと向かった時だった。

内藤が戻るまでの二時間を、風羽は一人でずっと待ち続けた。
そしてやってきた内藤へ、一枚のタオルを差し出したのだ。

こんな些細な一コマから、二人の距離は確実に縮まった。

決して内藤は風羽に興味ある素振りを見せはしなかったし、独自の猛練習を主張することもなかった。
それでも風羽だけには「ありがとう」という一言が自然に口から出るようになった。

その一言が嬉しく、風羽は毎日欠かさず内藤を待っていた。
躍起になって練習時間を長くしていく内藤を、一日とも欠かさず待ち続けた。


(*ノωノ)「お疲れ様です、内藤先輩」
60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 20:58:24.07 ID:raN78Cfe0
練習時間を長めていくことだけが内藤なりの反抗だったのだろう。
それでも風羽は不平を一つと漏らさなかったし、練習後にちゃんと部室に行って風羽に顔を見せていたあたりに内藤の良心が垣間見えもした。

だからこそ風羽も待ち続ける事が出来たのだろう、内藤の優しさが見え隠れしていたからこそ、その優しさを皆に見せたいと思ったからこそ。


そのうち風羽は内藤を待つ時間を使い、部活の新聞を作り始めた。
今でこそパソコンで手早く作っている風羽だったが、始まりはすべて手書きであり、そしてパソコンという情報系の分野に興味を持った発端こそがこの部内新聞だった。


(*ノωノ)「内藤先輩、この新聞、どう思いますか?」

風羽のこの一言こそが、二人を隔てる最後の壁を破ったのだろう。
内藤の事を褒めきった記事を見せると、内藤は不覚にも笑ってしまうことしかできなかった。

(;^ω^)「褒めすぎだお」

(*ノωノ)「これでも控えたつもりだったのですが」

二人は急速に関係を発展させた。



61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/08(木) 21:00:18.91 ID:raN78Cfe0
もともと内藤は愛情や好意を表現することをとても苦手としていた。
風羽がどれだけ尽くそうと、彼は決して彼女を思い遣る素振りを見せたがらなかった。

風羽はそんな彼の性格を理解して受け入れていたが、内藤自身はそうもいかなかった。

好意を返せず、お礼も素っ気なく、気を使ってもらうだけの自分が汚く見え、次第に彼は自分という存在を汚していった。
そして残念にもそれこそが、彼の免罪符となってしまうのだ。


汚い自分だからと言い訳をしては、彼は自暴自棄になり始める。

ことある度に風羽をチクリとなじっては、一人自己嫌悪に陥る悪循環だった。


そうだ、内藤は風羽に好きだと言う事もなかったし、彼女に見合う人格へ強制しようという努力すらも放棄していた。

そんな二人の関係は別段どちらが告白したわけでもない、ただ自然と二人は恋人という関係となっただけに過ぎないのだ。


だからこそ風羽は、内藤からの告白をずっと待っていた。
何も言わなかったが、彼女はずっとその一言だけが欲しいと願い、それでいて不安定で自暴自棄な内藤であるからこそ彼女は彼から離れることはできなかった。




だから彼女はずっと……当時より長くにわたって、内藤からの正式な告白を待っているのだ。



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