23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:13:57.36 ID:9WfXCC+a0
     第二十四レース「所歩と津出」


長岡との決闘で競輪を止めろと明言された内藤だったが、彼も幾つもの葛藤を乗り越えてきたのだ、
当日こそ気落ちしたものの、それにめげるでもなく、一日もすればやる気を漲らせて練習に励んだ。

そしていよいよ1000mに向けた本格的な練習が始まった。
といっても、大まかな練習は特段変わらない、スピード練習が増えただけだが、内藤の嫌いなもがき練習がより高度となって襲いかかった。
たいして間をおかぬ、それでいて距離の長くなったもがき練習、二本目もすれば酸欠寸前で頭痛が襲いかかってくる、終わるとすぐに小型酸素ボンベを口にあてがった。

(;゚ω゚)「は、ハァ……は、ウッ……!!」

(;´・ω・`)「フゥ……ハッ、は……」

ξ゚听)ξ「それじゃ、このまま休まずにピストをこいで移動して、その後もう一本入れるわ。
  内藤、次はもっと所歩について行けるようにしなさい」

伸縮を繰り返した腹筋が悲鳴を上げ、津出の言葉を聞いた途端に喰い止めていた吐き気が喉元まで押し上がるのを感じた。
しかしバイクをこぎ進める所歩を見たなら、そのまま吐いてしまって一時休憩しようなどという甘えた思考は打ち消さざるを得ない。
大きく叫びあげると、体に鞭打って所歩に並びかける、しかし次のもがき練習となれば、あっという間に引き離された。

ξ#゚听)ξ「何やってんの、もっと限界いっぱいまでもがかないと意味がないでしょう!
  そんなに早く離れていたんじゃ練習の意味がないわよ!」

(;゚ω゚)「お、っ……あ、おッ……!!

所歩の存在は、内藤にとってこの上ない有益なものだった。
所歩が練習に加わってからというもの、内藤は落ち込んだり妥協する余裕もなく、ただ彼だけを見て追いかけた。
もがき練習では所歩が先行し、内藤は彼を風除けにして後ろを走る、ようするに所歩は内藤に比べ格段にきつい練習を強いられているのだ。
25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:16:12.32 ID:9WfXCC+a0
(;゚ω゚)「はぁ、あ、……ハァ、はぁ……」

ξ゚听)ξ「はい、それじゃあ昼のもがき練習はこれで終わり、夕方にまたもがき練習させるから……」

(;´・ω・`)「はぁ……はぁ、……ふぅ、すまない、ツン。
  二本目とさっきの一本が、思うようにもがき切れなかった。
  追加で二本させてもらうよ」

(;゚ω゚)「……っ!?」

ξ゚听)ξ「無茶しちゃだめよ?」

(;´・ω・`)「大丈夫、君よりも僕本人の方が自分の体をよく分かっているさ。
  そもそももがき切れなかったのであれば、君の与えてくれた練習をこなしたとは言い難いだろう。
  君は完全にもがき切れたことを想定して練習を組み立てているんだから」

ξ;゚听)ξ「……まぁそうね」

(;゚ω゚)「ぼ、僕も二本目とさっきのが駄目だったお、追加するお!」

ξ;゚ー゚)ξ(……やれやれ)

所歩は実際、この上なく自分に厳しかった。
自分の走りを貶すことはざらだったし、納得いかなければ肉体の疲労などお構いなしに何度と同じ練習を繰り返した。
何一つと妥協せず、だからこそあれほどに自信過剰な言葉が出てくるのだろう。

内藤だって実力では所歩に負けているからこそ、練習量だけは負けないようにと思っていたが……それすら遠く及ばなかった。
彼が精一杯限界まで練習したところで、かろうじて所歩と同じ練習量をこなすだけだった、質に至っては比べるべくもない。
所歩は口から出るものが無くなるほどまで吐きながら、それをおくびにも表わさず練習を続けるのだ。
27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:18:44.57 ID:9WfXCC+a0
二日、三日と過ぎれば過ぎるほど、所歩の力がいかに底なしで非現実的なものかが見えてくる。
妥協知らずもここまで来ると狂気としか思えないほどに、彼は体をいじめ抜いていた。
内藤は彼の異常な実力と自信の源を垣間見た思いで、ことその点においては尊敬にも似た感情を抱きつつあった。


そして疲労抜きのロードでは、ツンと一緒する必要がなくなった。
内藤と所歩は二人してバイクに乗ることで、次第に会話も増えていった。
いつしか普通に会話をすることができるまでの仲に進展していた。

( ^ω^)「どうやったら所歩みたいに綺麗なスタートを切れるか教えて欲しいお」

(´・ω・`)「ああ、その前に一般のレベルにまでスタートを鍛えなよ、内藤の場合はそれが先さ」

(;^ω^)「ううう……そう言われると言い返せないお……」

平坦な道では互いに世間話に花を咲かせたが、上り坂ともなれば所歩は決して内藤のペースに合わせる事をしなかった。
どれだけ話が弾んでいようと、内藤がどれだけ必死で食らいつこうとしても、所歩は手を抜かず自分のペースを守り抜いた。
それがまた、内藤の悔しさを柔らかく刺激し、やる気を引き立てていたことは言うまでもない。

それでも坂の頂上で内藤を待っている辺りに、戦友という関係が築かれたことを強く感じられた。

(;^ω^)「どうせ頂上で待ってくれるなら、そこから『頑張れ』くらい声かけて欲しいお……」

(´・ω・`)「ああ、大声を出すのは疲れるじゃないか。
  僕に並走してくれるなら、その時にいくらでも言ってあげるよ」

(;^ω^)「それができないから必死について行っているんじゃないかお!
  並走するとなると、所歩が僕に合わせて走ってくれないと」

(´・ω・`)「やれやれ、君に合わせて走っていては日が暮れてしまうよ」
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:20:44.89 ID:9WfXCC+a0
所歩の性格は依然厄介でいちいち鼻につく言い方をするが、相応の練習に裏打ちされていると分かったからこそ内藤も彼を認め、共に練習に励めるのだろう。

彼はちょっと捻くった返答をしたがるんだ、それ程度に思うことが大事だ、馬鹿正直に受け取ってはこちらが疲れるだけだ。
相手にしながら軽くつっこむ程度で、所歩とはうまく付き合える。



いよいよ週末を迎え、試験までの日付が三週間になろうとしていた。
一週間の練習を所歩とともにこなし、ようやく訪れた疲労抜きの日に、内藤は安堵の息を吐く。

疲労抜きと言っても完全休養ではない、所歩とともに海沿いでロードを走らせていた。

そろそろ毒男に頼んだ長岡の調査結果が来るころだろう。
ふとそんなことを考えながら、所歩に質問をする。

( ^ω^)「そういえば、所歩は津出ないし布佐さんの元に来る前は誰の弟子だったんだお?」

(´・ω・`)「ん、ああ、君は知らないか。紗金(シャキン)師匠の元にいたんだ。
  僕がトラックレースから競輪に転向したのも、師匠に目をかけられたからだよ」

( ^ω^)「全然知らないお……でも所歩なら一人でも練習できるお?
  どうしてその人の下にいたんだお?」

(´・ω・`)「理由は言うまでもないだろう、紗金師匠のフォームが綺麗だったからさ。
  当時、トラックにおいて僕はどれだけ走ってもなかなかタイムが上がらずに困っていたんだ。
  練習量は十分にこなしていたはず、それでもタイムは全く伸びず、そのまま世界大会へ出場したんだ」

(;^ω^)「世界大会かお!?」
32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:23:54.53 ID:9WfXCC+a0
(´・ω・`)「驚いたよ、まったく世界の人たちは骨格から違うね、結局僕は四位で表彰台を逃したんだ。
  その時に僕は、従来のように練習量だけこなしていけばどうにかなるものではない、という事を悟ったよ。
  そんな時に紗金師匠と出会ったんだ、力ではなく、美しいフォームでトラックを颯爽と走るね」

世界でも四位に輝いた経験があったのだ、なるほど随分な男と今こうして練習しているものだと、内藤は今更ながらに驚いた。
以前毒男から受け取った所歩の資料には世界大会について書かれていなかったが、大会名が世界大会を明示していなかったのだろうか。
もしかすると所歩が競輪へ進む先を変えたのはごく最近の話なのかもしれない。

(´・ω・`)「しかし何という不運だろうか、弟子入りしてすぐに紗金さんは怪我をしてしまってね、競輪を引退してしまったんだ。
  まぁ五十歳、フォームで現役を死守していたとはいえ、あの人はもう限界だったんだよ、競輪人生としても大往生だろう」

(;^ω^)「……フォームって、それだけでその……日本一だったトラックの世界からこっちへ来たのかお?」

(´・ω・`)「ああ、元より頭の隅に競輪という選択肢はあったけれどね。
  ただ、フォームというのはそれだけ僕にとっては大きな要素であり、衝撃だったんだよ、君には解りかねるかもしれないが。
  とりあえずフォーム、実際ただそれだけだ」

なるほどフォームか、所歩らしいと内藤は口元に笑みを浮かべた。
所歩が一緒になってから津出は気持ち悪いと言っては、ロード練習を一緒しなくなった。
なにせ所歩が右から、後ろから、斜めから、角度を変えてはずっと津出の走りを見ているのだから、とてもいい気持ちはしないだろう。

( ^ω^)(……そういえば)

ふと、内藤には思い出したことがあった。




33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:25:37.39 ID:9WfXCC+a0
練習が終わると所歩を見送り、内藤と津出はピスト講座をすることになっている。
リムやクランクという言葉も知らない内藤だったが、競輪を目指す上で最低限の用語やマナーを頭に入れる必要があると懇願したのだ。
頭を使った勉強だけでなく、パンク直しや後輪の取り外しを実際に行って身につけた。


その日の講習が終わると、内藤はいそいそと津出に話を持ちかける。

( ^ω^)「ツン、約束を覚えているかお?」

ξ゚听)ξ「はいはい、口よりも手を動かして、さっさとバイクと工具を片付けて」

だめだ、てんで相手にしてくれない。
しかし諦めずに、内藤は話を続ける。

(;^ω^)「所歩と勝負した日に、レースの前にした約束があるお」

ξ゚听)ξ「夢でも見てたんじゃないかしら?」

( ^ω^)「素っ気なさすぎワロタ」

そう、内藤が思い出したのは、所歩と二回目に戦った時、津出と交わした約束だった。
所歩との勝負に勝てば、津出が競輪の道に足を踏み入れた理由を教えてくれるというものだ。
最終的に所歩がスパートをしなかったが、それでも結果は内藤の勝利なのだから聞く権利はあるはずだ。

ξ゚听)ξ「……まぁ別に忘れてないけどね、あまり気乗りしないのよ。
  っていうか覚えていたのね、そんなこと覚えている余裕あるなら、もっとバイクの基礎を頭に詰め込みなさい」
36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:28:47.14 ID:9WfXCC+a0
( ^ω^)「……やっぱり聞かなくてもいいお」

ξ゚听)ξ「あーあー、いいのよ私に気を遣わなくて、そうよね、これじゃフェアじゃないわよね。
  ただなんて言うのかな、やっぱりあんたの心を動揺させたくなかったから、試験が終わってからにしようと思っていたんだけどね……
  とても恰好いい理由なんかなくて、すごくよこしまで醜い理由しかないからね、私には」

ふっと笑って見せる津出は、鋭い目も相まってとても美しかった。
彼女は時たま、こうやって女性らしい顔つきをしてみせる、そのたびにドキッと胸が高鳴る内藤がいた。

その妖美さに負けた。
まるで津出は淫魔のようで、誘われてはならないと分かっていながらも、本能的な何かに惹かれたのだ。

内藤は「それでも構わない」と、津出の過去に踏み入った。

ξ--)ξ「そうね……私はね、初めて所歩に会ったとき、男目当てでなんて言われもしたけれど言い返せなかったの。
  まぁ何事も始まりなんてのは簡単なことでしょう、人より勉強できたから医者になるとか、人より速く走れたから陸上を始めたとか。
  そういうことなのよ、結局は……」



津出が競輪の世界に入る前、ロード選手だったことはいまさら言うまでもないだろう。
そもそもロードの世界にはどうして踏み入ったのだろうか、それには布佐という男が強く絡んでくる。

津出の父親はとあるメーカーの工場で働いていた。
当時競輪学校入学を控えていた布佐は工場の敷地内を借りてバイク練習をしており、その管理という名の雑務を押しつけられたのが津出の父親だったのだ。

日々布佐が来る時は管理者として見守っていなくてはならない、そのために布佐も気を使い、話題を捻出しては話しかけていた。
数ヶ月も経てば二人は意気投合し、父親は布佐を家に来いと誘った。

それが、津出と布佐の出会いであり、津出がバイクに興味を持った発端だった。
39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:30:50.18 ID:9WfXCC+a0
当時津出は小学六年生、布佐は十七歳だった。
年上に憧れる年代だ、特に大人ともつかぬ、お兄さん的な年齢に位置する布佐はまさに理想だった。
一目惚れということは彼女自身が分かっていた。


話をしていくと分かる、優しさと柔らかな笑顔にますます惹かれ、虜となった。

津出は少しでも自身を意識させようとした、どうすれば布佐に自分を見てもらえるだろう、考えればその答えはすぐに出た。

ξ*゚听)ξ『私も、ケイリンをやりたい!』

興味津々な素振りをみせたが、子供だった津出自身、競輪というものを漠然としか知らなかった。
競輪に女性枠が無いことはこの際どうでもよい、無邪気な小学生だ、競輪というギャンブルの一つに興味を持たれたことは、布佐と父親を内心焦らせた。
そこで咄嗟に機転を利かせて、布佐はこう提案したのだ。

ミ,,゚Д゚彡『競輪よりもロードレースの方が面白いよ。
  今度一緒にバイク走らせようか』

布佐の狙いは興味をロードバイクに逸らせることだったが、津出にとっては布佐と一緒にバイクを走らせるという事実だけで大満足だった。
快諾した津出を見て父親も気を良くし、すぐにも子供用のロードバイクを買い与えた。
安いものではなかったが、津出はそれまで内向的で家の中にいるのがほとんどだったのだ、喜んで買い与えた理由はわかろう。


その時から津出は週末になると喜んでバイクに跨り、布佐とのツーリングを楽しんだ。
初めは5kmもこげば息を荒らしていたが、長く布佐といたい気持ちから、冬にも関わらず平日にロングライドを行って体力をつけた。
気付けば週末には、布佐とともに二時間近くバイクをこぐことが習慣となっていた。

布佐にとっては、到底練習の一環とはできないような楽なペースだったが、練習場を借りている工場の責任者である父親の手前、
娘である津出を無碍に扱うことはできなかった。

40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:32:59.63 ID:9WfXCC+a0
父親は気付いていたことだろう、津出が布佐に恋をしていたことを。
いくら布佐が好青年とはいえ、娘がギャンブル職の人間と結ばれるとなれば話は変わってくる。
布佐とてギャンブルが煙たがられる事実を厳粛に受け止めており、津出の好意に気付きながらも応えられないことを承知していた。

それでも二人して津出の恋心を止めなかったのは、その恋がすぐにも終わる事を知っていたからだ。


津出の幸せな日々が途切れたのは、それからおよそ三ヶ月後。
秋試験で合格をしていた布佐は、その春より競輪学校へ行ってしまったのだ。

父親と布佐の誤算は、それにより津出が諦めなかったことだ。
一年間という期限が設けられた別れは彼女の気持ちをより強固なものとし、父親が心配するほどまで津出はバイクに打ち込んだ。
この青い空の下で、同じ陸の上で布佐が頑張っているのだと思うと、津出も頑張り、より長く布佐とツーリングできる日を待ち望んだ。


そんなよこしまな気持ちが先行していたのだ、津出は常にロングライドの練習をした。
布佐のいない物足りなさから、ロードの試合に出始めたのもちょうどこの頃だ。
ロングライドでは単純に練習量が入賞に大きく響く、津出は50km近い距離において入賞することも珍しくなかった。

そして布佐が競輪学校から戻ったとき、彼は津出の進化に驚くこととなったのだ。
津出は布佐とのツーリングを長く楽しみたいという一心で、ここまでの力をつけていたのだ。
そんな思いをはね除けられるわけがない、布佐は素直に津出に従い、朝から何時間ものライドを毎日一緒に行った。

この時を布佐は後々後悔することとなる、どうしてあの時にしっかり彼女と乖離しなかったのかと。
どうして彼女に付き合って、来る日も来る日も練習を繰り返したのかと。
42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:34:58.39 ID:9WfXCC+a0
学生だった津出は、日も昇らない内に起きると、朝から二時間のライディング、そして食事をして学校へ行くというハードな日々を繰り返した。

そして学校から帰ってくると、いつも布佐にフォームを見て貰った。
発展途上の彼女の体はまた、子供から大人へと変化段階の、艶めかしく美しい女性らしさを醸しだしていた。
膨らみだす乳房、腰から臀部にかけてのアーチ、それらは津出自身にとって、最も大きな武器だった。

ξ*゚听)ξ『フォーム見てくださいね』

そう言う彼女の格好は、ピッチリと張りつくバイクパンツ、そして首元の開いたノースリーブのバイクシャツ。
津出はそこに言い知れぬ興奮を覚えていた。


ξ゚听)ξ「……まぁ今から思っても変態的だわね、馬鹿なことやっていたななんて今でも思うわ。
  でもアンタだって、中学校時代なんて好きな人の前で背伸びしたり、格好つけたりしたんじゃないかしら?
  私は相手が年上過ぎた、だからあまりに背伸びし過ぎたのかな……」

思春期は多感ゆえに思い煩うことも多いが、同時に怖いものなしのプラス思考をも兼ね揃えている。
あまり相手にされなくても相手が年齢差を気にしているんだろうなどと考えては、また本当にそうだと思いこんでしまうのだ。

ξ゚听)ξ「当時、漫画やアニメではしゃぐ男子を見ていると子供っぽいことにどうしてそうも熱く楽しくなれるのかな、なんて思うことがあったわ。
 でも、そんなところについ母性本能に似た、恋や愛に似た疑似的な感覚を抱くことがあったの。
 男性が思春期の女性に同じような感覚を抱くかは知れないわ、それでも希望を持って、この年端いかないからこその魅力があるなんて思っていたわ」

バイクで前傾になれば、薄く余裕あるシャツの間からは小さなふくらみが覗けたことだろう。
足の回転をチェックされては、ピッチリと張りついたパンツから艶めかしい下半身の形を目視できた事だろう。
そんなストリップにも似た誘惑から、心を乱されているだろう布佐を妄想して、彼女は優越に浸っていた。
46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:37:18.35 ID:9WfXCC+a0
ξ゚听)ξ「ブラをつけずにバイクをこいで汗かいたりしたわ、本当に馬鹿よね。
  当時は全く厭わなかったわ、いつか私の体が彼のものになるだろうのに何を厭う必要があるのだろうとすら思っていたの。
  布佐さんが意を決して私に手を出すときを、ずっと待ち続けていたわ」

そうしてずっとずっと、フォームのチェックを受けた。
津出の美しいフォームの根源はここにあり、そこに純粋さなど垣間とも姿を見せない。
ねじ曲がった欲望の副産物として出来上がったものなのだ、フォームが美しい方が体つきも美しく見えることだって十分に承知していたからこそ。


ξ゚听)ξ「でもね、布佐さんはいつまで経っても私に応える素振りは無かったわ」


津出が高校生になっても、布佐は彼女の呼びかけに全く応えなかった。
心配が頭をかすめるが、それ以上に18歳になったらきっとという僅かな希望だけを胸に、津出はひたすらにアピールを繰り返した。

レースに勝てば彼が喜んでくれた、だから勝ちたかった。
布佐と一緒に練習を満喫しては、試合ではひたすらに走り、結果を出しては思いっきり甘えた。


きたる高校三年のインターハイ、津出は入賞したら二人で旅行に行こうと、無理やり布佐に取り付けた。
そして津出は見事に入賞した。

旅行の日付は津出の誕生日の日だった。
大人への階段を登る、最高の一日になるはずだった。


ξ--)ξ「その旅行でね、分かったの、思い知らされたの。
  布佐さんは私なんて見ていなかったんだって、ただ想像で私は舞い上がっていたバカみたいな女なんだなって」
48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:39:52.63 ID:9WfXCC+a0
18歳になって確かに津出は大人となった。
大人となり、好きな人に興味を持たれていないという事実を突きつけられた。
今までの関係は、子供の自分がただ勝手に相手の気持ちを良いように想像して作り上げたものだったのだと分かったのだ。

いや、まだその時は大人への階段の途中だったのかもしれない、津出がすぐに思い浮かんだ感情はただひたすらの怒りだった。

布佐に相手にされなかった自分へ向けての怒り、そして自分に期待を持たせ続けた布佐への怒り。
もっとも布佐への怒りはお門違いなことは分かっている、それでも津出は未だに布佐に憎悪ともいえる念を持っているのも事実だった。

彼女は今もなお布佐のことが好きなのだ、だからそんなにも恨めしく怒りを抱いているのだ。
津出はそこまで言わなかったが、内藤はなんとなしに感じ取った。

二人の関係がどこか他人行儀であるのは、津出が布佐から離れなくてはいけないと感じている証拠だろう。
二人でいる時に津出がよく笑うのは、それでも布佐から離れられないからなのだろう。


ξ゚听)ξ「将来は布佐さんのお嫁なんて考えていた私は、その楽観さ故に現実という壁にぶつかったわ。
  私はね、フォームとかバランスの良さとか、そんな一風変わった点で他人より優れていたから、インターハイに入賞ができただけなの。
  将来をちゃんと考えてからね、インターハイのビデオとか見たわ、そして私はロードではやっていけないと悟ったの」

津出が上り坂や向かい風でも構わずに、まんべんなく上手く走れることは内藤も知っていた。
しかし彼女は、インターハイ上位選手たちの力には及ばないことが分かってしまったのだ。
純粋な逸脱した身体能力、津出はあくまで一般人としてバイク経験が豊富ではあったが、それだけだった。

誰よりもフォームが良かったことは自負したが、そのほかの選手たちが同じフォームになってみれば、その瞬間に完敗するだろう。
ただでさえロードの世界ではそれだけで食べていける人間など一握りだというのに、津出程度ではとても無理だ。

津出の実力の裏付けは、一度として優勝がない試合経歴を見ても十分だった。
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:42:52.99 ID:9WfXCC+a0
ξ゚听)ξ「私がここに来た理由は簡単、それでも私にはバイクしかなかったの。
  そしてただ、布佐さんにも負けない選手が育てたかった、ただそれだけ。
  未だもって将来の事なんて全く考えていないし、ほとほと私自身に呆れるばかりよ……」

(;^ω^)「……」

津出は働いていなければ競輪選手の嫁になるという玉の輿すら狙っているわけでもない。
ただのフリーターなのだ、だから津出は内藤を弟子に持った当初、バイトを外さなかったのだ。

ξ゚听)ξ「競輪選手のお嫁さんなんで大層な目論見すら持っていないわよ。
  ここにこうしているのはただの私怨よ、どう、驚いた?」

そして津出は人生の大半をかけて憧れ恋してきた布佐を、再び人生をかけて越えようとしているのだ。
今時の若い者と相違ないだろう、先の事を何一つとして懸念せずに今の自分のことだけを考え、布佐に面従腹背しているのだ。

布佐を超えようなど、人生を賭けたギャンブルにしては、あまりに確率の低い賭けだった。
それすら厭わず突き進むなど、とんだ負けず嫌いだ。


ξ゚听)ξ「そういうこと、それ以来大学へも進まず、周りが受験に暮れる中、布佐さんに付きっきりで師匠としてのノウハウを盗もうと努めたわ。
  ピストの練習もしたし、バイクの調整から競輪学校についても勉強した。
  いつか持つ、布佐さんを超えて競輪界の頂点に立つべく弟子を育てるためにね……」

津出はまた妖美な笑顔を内藤に向けていた。
その妖美さには、津出が唯一持つ女性らしさが凝縮されているのだ。

彼女の過去に驚かなかったというと嘘になる、不信が顔をのぞかせたのも事実だ。
それでもなぜか、内藤には津出の想いがよく分かる気がした。

52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:44:46.65 ID:9WfXCC+a0
突然、内藤の頭にも一人の女性が顔をのぞかせた。
今、彼女はどこで何をしているだろうか。
よくよく考えてみろ、内藤にだって競輪を目指すに当たり誇れるような大きな理由など無いではないか。

( ^ω^)「くっだんねぇお」

ξ゚听)ξ「……なんですって?」

(#^ω^)「何が大した理由もない私怨だお、くっだんねぇお!
  ちゃんとした理由があるお、それだったら僕なんてもっと何も理由ないお!
  ただ沢山儲けられるとかそんな言葉に負けてこの道を選んだだけだお、ふざけんなお、引いたかお!?」

ξ゚听)ξ「別にあんたの理由なんてどうでもいいわよ、あんたが私を信じてくれるのならね」

(#^ω^)「僕だって別にツンの理由なんてどうでもいいお、ツンが僕を信じてくれるなら!」

そうか、似た者同士なんだ、内藤と津出は。
失恋した負け犬が、転んだがただで起きてたまるかという負けん気から、頂上へ這いあがろうとしているのだ。

それからしばらく二人は互いを貶し合い、下劣な言葉でののしり合った。
お前なんかましだ、自分の方が惨めだなんて悲愴さを比べながらも、随所で相手を馬鹿にもした。
そんな不毛にも思える行為から、互いの心がしっかりとむすばれたままでいる事が確認できた。


( ^ω^)「ツン、……絶対に、這い上がってやるお」

ξ゚听)ξ「当たり前でしょ、やられっぱなしで黙っているタマじゃないわよ、私は」




53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:47:51.07 ID:9WfXCC+a0
 
(;'A`)「なんという膨大な量だ……」

内藤に頼まれ、知り合いに長岡について調べて貰ったところ、膨大なデータが送られてきて毒男は呆気にとられた。
たった一週間という短い時間の返答が、目の前に積まれた資料の束だ。
長岡は一度は競輪界の頂点まで上り詰めた男だ、調べやすいかと思ったが、有名過ぎて情報が氾濫しているのだろう、A4用紙50枚にも上るデータを見てため息をついた。

中身をペラペラと捲ると、さすがにまとめる側も限界があったか、綺麗にまとめられているとはとてもいい難い。
それでも限られた時間内で相当尽力したのだろう、余すところがないほど多様なデータがまとめられていた。

('A`)「すっげぇな……お、デビュー戦は布佐さんに負けているのか。
  布佐さんは一気に最上級まで上り詰めたらしいが、長岡さんはゆっくりと、順当に勝ち上がっていったんだな。
  なんだ、地元の新聞に取材までされていたのか、よくこんなもの発見したな……」

毒男だって伊達にファンを名乗ってはいない、内藤へ渡す前に貪るようにそのファイルを読み耽った。
試合の結果だけでも知らないことは無数とあったし、競輪学校同期である布佐との関係は非常に興味深かった。

('A`)「そうか、布佐さんとよく並べて取り上げられているし、インタビューでは必ず布佐さんと比べられているがなるほど。
  二人は競輪学校以前、中学時代からの長い付き合いだったのか……」

毒男は内藤よりもこの結果が来るのを心待ちにしていただろうことを白状した面持ちで、それらすべてを読み切った。
そして封筒へ戻そうとしたところ、その中に小さな紙切れも入っていることに気付く。

手に取って見ると、長岡に関するさほど重要とは言えないだろういくつかの事項が羅列されていた。
あからさまにとってつけた様なゴシップがほとんどだったが、とりわけ毒男の目に入ったものは、某巨大掲示板で使われている彼へのあだ名だった。
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/06(月) 21:50:21.43 ID:9WfXCC+a0
 
ジョルジュと言う俳優か何かをもじったと思しきあだ名はさておき、その下には随分と酷い言い回しがいくつもなされていた。
ラッキースター、疫病神、運だけ男……枚挙にいとまがない数の揶揄に、腹中がむかむかと沸き立ってくる。


(#'A`)「なんだよこれ、ひでぇな……」

ラッキースターなどとと揶揄されているのは、毒男も聞いたことがあった。
長岡のレースでは、対戦相手をわざと転ばせているなどとまことしやかな噂を常識のように話している観客だって何人も見てきた。

しかしそれも仕方ないことか、何せ競輪の最大の大会、KEIRINグランプリでさえ布佐の落車に助けられて優勝したのだから。
それでもここまで悪名高く呼ばれているのでは、何も報われはしないだろう。

(#'A`)「長岡選手も相当努力しているだろうのにな……これは酷い」

毒男は口先を尖らしながら紙を封筒にしまい、しっかりと封をした。

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