76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:17:08.30 ID:v4fOGnew0
     第十八レース「意気と奮起」


そうだ、津出はああ言いながらも確実に怒っていたのだ。
信頼はしたと言っていたが、それとこれとは話が別なのだろう、内藤の勝手のために焦燥した憂さを晴らすかのように、
そして失った一週間を取り戻すかのように、地獄のような特訓を毎日繰り返した。

津出とはもう無断で練習しないと約束したが、それが無くとも余力の残っている日など一日たりともなかった。
津出は妖美に笑いながら、

ξ#゚ー゚)ξ「疲労がたまっている状態でも上手にこげるようになれないとね」

だなどとのたまっては、過負荷としか思えないような練習を内藤へと次々に投げつけた。


(ヽ´ω`)「おおぉお……」

ξ゚听)ξ「何やってんのよ、まだあと3回もがき練習をするんだから、ゆっくり休んでいる暇なんてないわよ?
  くれぐれも体冷やさないようにね。
  あとさっきのラスト、前傾気味で体勢が危なかったから気をつけて、決して背筋を張っていろって意味じゃないからね」

(ヽ´ω`)「おおぉおぉぉ……」

ξ゚听)ξ「返事が聞こえないわ」

(ヽ´ω`)「おぉ……どえす……」
78 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:19:05.60 ID:v4fOGnew0
それでも怪我もなくやっていけたのは、津出の気配りが以前以上にきいているから他ならない。
食事管理に睡眠時間、練習前後のストレッチやアップの時間は入念なほど取ってあった。
本練習は愛好会の合間を縫って競輪場を使うだけだ、その時間をフルに使えるようにと、練習の時間設定もより厳しくなった。

ξ゚听)ξ「競輪学校も分単位行動だからね、まぁいい余興練習じゃないかしら」

一度目に交わした師弟約束は、本当に口だけの約束だったのかもしれない。

今こうして津出が厳しい口調になったのも、内藤への余計な遠慮がなくなったからだろう。
毒男が師弟関係は家族のようなものと言っていたか、そういった意味で今こそが本当の師弟関係なのだ。
一度目はよそよそしさと遠慮が覗けた、見せかけだけの、着飾った師弟関係だったのだ。



残された時間は三週間だった。

フォームを正確に直すのに、二日を費やした。
それからはスピードを上げながらの、より実用的なフォーム練習へと移行する。

同時にロードバイクを使っての、疲労を抜きながらの距離稼ぎが始まった。
当初はまだまだ筋肉が慣れていないようで、ロードバイクのゆっくりとした長時間ライドでも、次の日に疲労を残していた。
しかし毎日長時間繰り返すことで、一週間が過ぎればスローペースの距離稼ぎはさほど苦にならなくなった。


80 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:20:55.35 ID:v4fOGnew0
そして二週間目、地獄の特訓が始まった。

もがき練習という、限界状態で無理やりこぎ続ける練習を、気が遠くなりそうな本数重ねる事となった。
当時の一日の体感長さは異常だった、内藤の心も折れかけていることが多かった。

二月に入ったといっても、まだまだ風は冷たく強く吹きすさぶ。
手の感覚がなくなり、次にこいでいるはずの足の感覚がなくなった。
意識が朦朧とし、一日に何度転んだかもしれない、怪我がなかったのは運の要素もあった。


ξ゚听)ξ「怪我したら所歩とも勝負できないしね、試合日を延期できるんじゃない?
  まぁサポーターもつけてるんだから擦りキズくらいで済むわよ、唾でもつけときなさい。
  酸素もいっぱい用意してあるから、酸欠になるくらい頑張っても問題ないから」


津出の言ったことは間違っておらず、サポーターのお陰で大きな怪我はなかったが、足と腕はカサブタ塗れで変色した異様な状態となっていた。
この頃は筋肉痛も筋肉疲労も常で、多少の痛みでは何も感じなくなっていた。
後から考えても、救急車のお世話にならなかったのが不思議なほど過酷で激烈な練習だった。

83 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:22:43.95 ID:v4fOGnew0
そして最後の一週間は、スピードと持久力を半分ずつにしたような練習だった。

スピードの限界練習もするが、何本も走るらせるような無茶はなく、フォームの固定に重きが置かれた。
そして試合のスピードを想定した練習が主になった。

発射台の練習も入り、形ばかりではあるが見られないほどではない、いっぱしのスタートも身につけた。


( ^ω^)「ツン、僕はこれで、所歩に勝てるかお……?」

ξ゚听)ξ「川原で花占いでもして来なさい」

これが決戦の前々日に、二人がした会話だ。



決戦一日前、いよいよ最後の調整となった。

最後の日は無理な練習はできない、それなりの距離をゆっくりと乗った後は、発射台の練習に使用した。


ξ゚听)ξ「あんたのは地面に一回大きくぶつかっているのよ、ドンって。
  そうじゃなくて、流れるようにスムーズに発車、分かる?」

津出がピストに乗り、試しに発射してみせた。
しかし内藤の表情は曇ったままだ。
85 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:24:54.34 ID:v4fOGnew0
(;^ω^)「言いたいことは分かるんだお、地面にぶつかってロスが生じているみたいな感じだお?
  でもそれを自分でやるとなると、全然訳がわかんないお」

ξ゚听)ξ「体ごと移動する感じよ、こうやって……」

(;^ω^)「いやいや分かるんだお、分かるけど、それをやるとなるとやっぱり勝手が違うお」

スタートも練習を重ねたことでマシにはなったものの、やはり所歩のようにはうまくいかない。

ξ゚听)ξ「所歩ね、あいつはスタートおかしいわよ、上手過ぎて逆に気持ち悪いわ。
  私はその点ちょっと頼りないかもね、ロード出身だから経験が浅くて……」

(;^ω^)「いやいやいやいや、自分には何が違うか分からないお」

スタートにはよほど自信がないのか、津出は似合わず言い訳じみた言葉を放ったが、内藤には謙遜にしか聞こえなかった。

津出や所歩のスタートは、流れるようにスムーズなものだった。
比べて内藤の場合、空白とでもいうのか、スタート途中に力をロスしている感覚が付き纏った。
模範となる二人のスタートが心地よいクラシック音楽であれば、内藤の場合は途中で音が割れてノイズが乗り、耳につく不快感が伴うのだ。

ξ゚听)ξ「とりあえず当初よりはよっぽど上手くなったわ、私も発射台には苦労させられたし、とりあえずは及第点かしら?
  泣いても笑っても決戦は明日だから、今は回数だけ繰り返して当日にミスだけはないようにしましょう」

( ^ω^)「わかったお……」

そして何度と不協和音を感じながらも、聞けるようになっただけマシなクラシックの体現を繰り返した。

ロード経験者の津出も苦労したというのだから、一朝一夕で正しいスタートを身につけることはできないのだろう。
それでも繰り返したことに意味はあった、見るに堪えるスタートになったことは内藤自身が自負できる。
あとは津出の言うとおり、明日の本番で失敗してすべてを無駄にしてしまわないこと、だ。
86 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:27:52.11 ID:v4fOGnew0
( ^ω^)(そうだお、津出もロードからの転向なんだお……)

スタート練習も何度と繰り返したのだろう、ピストだって他人に教えられるほど乗りこなせるように、延々と練習を続けたのだろう。
ロードとピストは同じ自転車でも構造は根本的に違い、感覚的にも随所に小さくも確実な異なりが点在した。
他人に教える道を選んだなら、当人が見合うだけ上手く乗れなくては話にならない、ピストを十分に乗りこなせている津出の苦労は計り知れない。

ξ゚听)ξ「あー、ちょっと懐かしいわね、私もロードでは、今のあんたみたいに四六時中バイクに乗っていた時期あったわ」

やはりそうなのだ、常にバイクと一心同体であり、常にバイクとつきあっていたからこそあれだけ輝かしい結果が残せるのだ。
悔しいが所歩もそうなのだろう、昔からずっとバイクに乗ってきているからこそ、内藤のように一朝一夕乗り始めのものに負けられないという思いもまたあるのだろう。

だからこそ内藤は前日でもこうして根気強く乗るのだ、努力を重ねるのだ。
努力は人を裏切らないと誰かも言っていたが、間違いなく努力が力となっているのは感じ取れた。
そして所歩との決戦、実力では間違いなく負けているが、それでも何とか一矢でも報いることができればきっと、己の努力を認められるだろう。

( ^ω^)「そういえば、津出はどうしてロードからこっちに転向したんだお?」

以前も気になったことだ。
津出はロードで輝かしい経歴をいくつも残していたはずだ、優勝こそなかったものの、陸上時代の内藤とも比べるべくもない成績が。
にも拘わらず女性の括りがない競輪へと転向したのだから、何か大きな理由があるはずだ。

津出は、まるで内藤が頓珍漢な質問でもしているかのような、小悪魔じみた微笑を浮かべた。
それは見惚れるほどに女性的で、津出らしからぬ優しさすら垣間見えた。

ξ゚ー゚)ξ「明日、勝ったら教えてあげるわ」

答えはお預けということだ、悪戯っぽい返しにまた、不思議と女性らしさを感じた。
89 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:30:25.48 ID:v4fOGnew0
そうか、試合はもう明日なのだ。
ブルッと体が凍えたのは、寒さでなければ恐怖でもない。
武者震いだろう、今の自分がどこまでできるのか試したい気持ちが昂っているのだ。

( ^ω^)「津出、明日僕は、本当に勝てるのかお?」

ξ゚听)ξ「当たり前じゃない」

もっともこの答えは信頼には至らない、ここはこう答えるしかないのだから、内藤もそれを分かっていて聞いたのだろう。
ここで自信喪失させることなど言えるわけがない。

( ^ω^)「でも明日、所歩を本当に風除けにできるのかお……?
  たぶん、スタートから一気に本気で飛ばされたら僕は後ろにつくこともままならないお」

ξ゚听)ξ「ねぇ内藤、アンタは負けに行くの?」

津出の言いたいことはよく分かる、同時に内藤の言いたいことだって津出は分かっているはずだ。
あまりに無謀な勝負、心配するなといっても勝敗が絡む以上、不安ばかりを考えずにはいられない。

ξ゚听)ξ「前の戦いのとき、アンタは初めに飛ばし過ぎると駄目だなんて思いながらセーブしていたかしれないけれど、
  慣れない筋肉は簡単に疲弊し、結局はすぐにも限界が来てしまったのよ。
  とりわけ先行されて負けを覚悟した精神状態が徒労感を生み、余計に疲労を蓄積したの」

( ^ω^)「わかるお、でもこの戦いだって、所歩が僕のスピードに合わせてくれるとは思えないお!」

ξ゚听)ξ「大丈夫よ、せっかくトラックが使えて対戦相手もいるのに、相手を蔑ろに独走するかしら?
  そこは私を信じてとしか言えない、そして自分を信じろとしか言えないわよ、未来の話だから」
91 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:32:04.42 ID:v4fOGnew0
その通りなのだ、ただ内藤は不安を吐露したかっただけだ、誰かに話ししたかっただけだ。
不安は仕方ない、プロとなろうとも、誰もが悩まされ苦しむ。
内藤だって例外じゃない。

それを津出が強く咎めないのは、やはり内藤を信頼しているからだ。
明日になれば内藤はスポーツマンとして、心を落ち着けて闘志を剥き出しにしてくるだろう。
だから今は少しくらい言わせてあげよう、それをすべて受け入れ、明日への糧となる言葉を捧げよう。

ξ゚ー゚)ξ「自信を持ちなさいよ、私がこんなにも自信持っているのに、アンタが持たなければ意味がないでしょ?
  無駄にしないでよ、アンタに捧げるこの自信を」

これでいいのでしょう、いつも通り自信に満ちた鋭い津出の目が、内藤に語りかけた。

ありがとう、それでいいのだと、内藤は黙って頷いた。

二人は最後に意思を確認し、ともに心が通っていることを確認した。
明日へと向けて、あとは臨むだけだ。


( ゚∀゚)「すっげ、マジ今日まで練習やってたw」

その場に突然、長岡の拍子抜けた声が響く。

せっかく意思疎通の確認ができて気持ちが奮ったというのに、内藤は眉間にしわを寄せ、嫌悪を示した。
津出も今回ばかりは、都合の悪い笑顔で出迎える。
95 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:33:33.50 ID:v4fOGnew0
ξ;゚听)ξ「長岡さん、布佐さんならいつもの食堂で食事中ですから」

( ゚∀゚)「違う違う、俺はお前らを見に来たんだよw
  しかし本当にいるとはな、マジ大ウケだわw」

立場も実力も経歴も、すべてにおいて長岡は一目を置くべき相手だ。
それでも性格は一癖も二癖もある、布佐の知り合いである手前無碍には扱えないが、この大事な時に首を突っ込まれるのは勘弁だ。

( ゚∀゚)「おーおー、それじゃ頑張っている……えーと、なんて言ったか、そこの少年に俺から助言をやるよ」

ξ;゚听)ξ「……お願いですから長岡さん、変なことは言わないでください」

( ゚∀゚)「あのな、競輪ほど、努力が無駄なものはねーわけよw」

聞いた瞬間、内藤がグッと長岡を睨みつけた。
今しがた津出の努力を感じ、頑張らねばと気を入れ直したばかりだというのに、その言葉は聞き逃せない。

津出を馬鹿にされたかと思った。
今までの練習を否定されたかと思った。

どこまでいい加減で堕落しているのだこの男は。

ξ;゚听)ξ「長岡さん、本当に止めてください!」

(#^ω^)「帰れお!」

( ゚∀゚)「怖い怖い、それじゃ布佐の元に逃げ込むとするかな……ああ、明日は見学に来るからよろしくな。
  所歩じゃなくてお前の応援に来てやるからなw」

(#^ω^)「早く帰れお!」
99 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:36:21.09 ID:v4fOGnew0
内藤が怒鳴ってもへらへらと笑ったままで、長岡はトラックを後にした。

彼はどうしてこうも内藤の前に現れようとするのか、まったく変な人間に興味を持たれたものだ。

ξ;゚听)ξ「内藤、気持ちは大丈夫……?」

(#^ω^)「お生憎様、へそ曲がりは専売特許だお。
  むしろムカついたお陰で吹っ切れたお、絶対明日はやってやるお」

ξ;゚ー゚)ξ「あんたらしいわ」

津出も安心し、呆れた笑いを添える。
内藤の負けず嫌いは折り紙つきだ、挑発された事で、逆に明日へ挑む気持ちが強まっていた。

相手の思い通りになど動いてやるものか、悔しさはすべて戦意と集中力に持っていってやる。
それだけが得意なのだから。

泣いても笑っても試合は明日、内藤は気持ちを強く持って、その日を迎えた。


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