- 49 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/27(日) 23:52:21.11 ID:FyN+jPMK0
- 第十七レース「信倚と聊頼」
津出に見つかるとは露ほども思っていなかったのだろう、タイミングを見計らっては彼女の期待に添えるようにと、内藤は極秘の練習を行っていたのだ。
なるほど、これでは津出が想像する以上に疲労もたまって当然だ。
三日でフォームをものにしたその練習熱心さはたまげたものだ。
しかし基礎が完成された時からその熱意は練習量にだけ向けられてしまい、フォームの意識がなおざりとなっていったのだろう。
ましてや一人だけの練習、日に日に溜まる疲労の中で誰にも注意されなければ、形が崩れていくのは自明の理だ。
ξ#゚听)ξ「アンタは何で私を選んだの、どうして私につくの、私は何であんたに教えているの、アンタ一体どういうつもりなの、
もうアンタが分からないわ、何を考えているのか分からないし、言葉だってもう何も信じられない!」
(;^ω^)「……違うんだお」
ξ#゚听)ξ「何がよ!」
内藤の力ない声は、津出の一言に一蹴された。
なにも違わないのだ、津出の憶測は9割以上正答しているだろうし、現に今こうして内藤はピストをこいでいるのだから。
津出の眼つきにはいつもの鋭さはなく、どこか疲れを見せるものだった。
ξ゚听)ξ「なんていうのかな……もう面倒臭くなってきた。
私たちって何回すれ違えばいいのかしらね、誘って断られて合意して裏切られて……いい加減疲れもするわよ」
心外を具現化したような表情のままで、笑顔がこぼれる様子は当然ない。
腹中に溜まりに溜まった憤懣をどのようにぶつけるべきか、試行錯誤しているようにも見える。
- 50 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/27(日) 23:54:11.01 ID:FyN+jPMK0
- ξ゚听)ξ「私も元来、気が長い方じゃないのよね、それでも随分と温和になってきたかと思っていたけど……
ええ、やっぱり今回ばかりは無理よ、それでも手が出なかった辺りはまだ温和になれた方だと思うんだけどいかがかしら?」
憮然とした様子のまま、言葉だけが無感情に内藤を責め立てる。
ξ゚听)ξ「先に言っておくけれど、今回ばかりは無理だから、抑制効かないからその辺よろしく」
内藤は何一つと返す言葉がない、教師に叱責される子供でもあるかのように、ただ黙って俯くだけだった。
構わずに津出は息をひとつ吐き、気合いを入れると口調をまた少し、咎めた。
ξ゚听)ξ「アンタは陸上やっていたのよね、もともと。
それでさ、どうして止めたの?」
(;^ω^)「……」
ξ゚听)ξ「いいわよ答えなくて、もう知っているから」
内藤の体が小さく震えたが、津出はそれを気にもかけない。
どうして津出がその事を知っているのか、思い当たる節は一つしかない。
昼の練習後に競輪場へあった、津出宛の電話、それだろう。
ξ゚听)ξ「今ならあんたの大嫌いなコーチの気持ちがよく分かるわ」
( ω )「……止めてくれお」
コーチの名を出され、思わず内藤は声を出していた。
- 52 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/27(日) 23:56:48.95 ID:FyN+jPMK0
- 止めて欲しかった。
今回の件は九分九厘において内藤が悪い、それは分かっているので言い逃れする気はなかったが、津出に陸上時代のコーチと一緒だとは言って欲しくなかった。
あの人生を滅茶苦茶にした、最も忌むべき人物の気持ちが分かるだなんて比喩でも使って欲しくなかった。
どうやら電話の主はコーチと見て間違いなさそうだ、今頃になって一体何を津出に吹き込んだのだ。
どこで競輪を目指していることを知ったか知れないが、本当に邪魔ばかりをする、何につけても目障りな男だ。
( ω )「違うお、コーチとツンは違うお、止めてくれお」
ξ゚听)ξ「アンタさ、ちょっと顔つき良くなったけど、変わったと思ったのは私の早計だったようね。
内面は呆れるほど以前と何も変わっていないわ」
内藤は過去のプライドを脱ぎ捨てて、初心に戻って競輪を学ぶつもりだった。
驕らず、歯向かわず、他人を信頼して全力で競輪へと邁進しているつもりだった。
それはただの思い込みだ、津出はすべてを否定し、何一つと変わっていないと指摘してみせた。
ξ゚听)ξ「私とそのコーチは違わないわよ、きっと、前コーチはあんたを怪我させたかったんだろうね。
アンタの足を壊してそれを言い咎めたかった、ただそれだけよ」
あまりの堂々とした過激な発言に、内藤はまた一度体を震わせた。
そう、前コーチは明らかに内藤の体を壊そうとしていた、今でもそうだと思い込んでいる。
あまりにその発言は的を得過ぎていた。
ξ゚听)ξ「あんたは覚えていないでしょう、そのコーチとあんたが初めて衝突したのは、過負荷練習した時だったんだってね。
コーチがアンタを止めようとしたら、あんたはこれくらいじゃ音を上げないって練習したそうよ。
次の日、体を気遣って練習内容を落としたコーチに向かってあんたはなんて言ったか、覚えている?」
( ω )「……」
- 59 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:04:39.94 ID:v4fOGnew0
- ξ゚听)ξ「『コーチは僕の練習を見る気がないんですね』だって。
それ以来、アンタとの付き合い方が分からなくなったそうよ、そして陸上から一度離れるべきだって思ったみたい。
でも何度ひき離そうとしても、決してあなたは陸上から離れなかったそうね、それがどれだけコーチを傷つけていたのかしら?」
やはり電話相手はコーチだったのだ、そして津出に「内藤」という人間を伝えたのだ。
コーチは気付いていたのだ、内藤が隠れて練習をしているだろうことに。
そしてその愚直さが根底にあるからこそ、津出との関係がコーチとの決裂の二の前になると予期していたのだ。
ξ゚听)ξ「そのコーチないし私がどれだけあんたを気遣っているのか分かっているの!?
アンタ、本当一回壊れる?
私がその足を壊してあげようか?」
今、内藤はそのすべてを理解した。
コーチが足を壊そうとしたのは、足を壊すことで「無茶」を内藤自身の体に刻みたかったのだろう。
言い渡された練習を守らずに、練習結果はいつもマネージャーに命じて捏造したものばかりだった。
コーチと選手の関係など名ばかりで、完全な管理下にはいなかった。
それが簡単で深淵な亀裂を生んだのだろう、そしてああも内藤に口うるさいコーチを作り上げてしまったのだ。
口煩くすれば内藤が怒りからより練習を重ねる事を知っていたからこそ、
コーチはあえて内藤へ具体的な内容を告げず、理由もへったくれもない嫌味ばかりを向けたのだ。
内藤の練習量に物を言わせた意識が間違っていると、指摘してみせたのだ。
その証拠に内藤は怪我こそなかったが、記録に伸び悩んでは結局全国大会に足を踏み入れることはなかったではないか。
過負荷で体を壊して、コーチも選手も悪かったと、互いに分かり合うきっかけのための辛辣だったのだ。
あのコーチは誰よりも内藤を理解し、内藤のために何かをしたかったのだ。
そして誰よりも内藤と分かり合いたかったのだ。
捻くれた内藤のためにこそ、苦渋の決断として捻くれた譲歩に踏み入ったのだ。
- 61 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:07:03.39 ID:v4fOGnew0
- ( ;ω;)「……ううぅ」
悔しかった。
なんだこれは、これでは完全な負けではないか。
ずっと躍起になっては敵対し、歯向かっていた相手はわざと自分を煽っていたのだ。
そして誰よりも自分のことを理解してくれていたのだ。
それも知らず、相手の意のままに自分は動かされていたわけだ。
( ;ω;)「嫌だお、信じたくないお、違う、そんなの嘘だお!
後からとってつけた言い訳だお、ツン、そんな嘘に騙されちゃいけないお、アイツの思う壺だお!」
ξ--)ξ「残念ながら私もコーチさんの意見に同感よ、今すぐあんたの足を折りたいくらい。
足を殴るくらいではさすがに折れ無いでしょうが」
愛する者と別れ、足を殴りつけた自分自身がフラッシュバックする。
コーチのせいだとすべてを否定していた自分、それらは全くの自分勝手な考えからくる産物だったのだ。
自分を落としこめたのは他の誰でもない、自分自身だったのだ。
ξ゚听)ξ「たぶん師弟関係とかコーチと選手のあるべき姿を一番分かっていないのは、アンタじゃないかしら?
実際、陸上のコーチさんをあなた以外の誰かが非難していたからしら?
していないのであれば、人望ある良いコーチだったんじゃないかしら」
そうだ、退部宣言した時も、コーチに歯向かう内藤を止めに入った主将は、断固として彼の言葉に同意をしなかった。
コーチは色々と尽くしてくれていると、これからも付いて行くと言っていた。
あのマネージャーだって、コーチは悪くないと言っていた。
そして常にコーチと、「内藤」についての意見を出し合っているような事を言っていた。
- 62 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:09:15.77 ID:v4fOGnew0
- ξ゚听)ξ「本当もう無理しないで、あんたは自分に一層厳しくすることで逃げているだけなの。
そうでしょ、コーチを信じもしなかったくせに練習には難癖付けて、鬱憤はすべて独自練習にぶつけていただけで。
自分を分かってくれる人間なんて誰一人としていないだなんて、反抗期の子供じゃあるまいし」
もっと内藤が素直に、コーチを信頼していればよかったのだ。
だというのに歯向かい、練習を捏造し、揚句に怪我の責任を押し付けてサヨナラをしたのだ。
本当に無責任なのは誰だ、本当に自分勝手なのは誰だ。
( ;ω;)「僕は……なにも知らず、分かっていなかったお……」
ξ゚听)ξ「私もコーチさんに感謝しているわ、それが無かったなら、私が内藤と同じように決裂していただろうから。
コーチさんが犠牲になったお陰で、こうして今なお私たちは向きあうことができているのだから」
内藤は黙って頷いた。
コーチからの電話がなければ、津出との関係や練習も滅茶苦茶なままで所歩と戦い、負け、敗因を津出に押しつけて競輪からも逃げていたことだろう。
その想像は簡単に、それでいてとても鮮明に思い描かれた。
そうだ、津出の言うとおり自分は何も変わっていなかった。
自分のプライドを捨てたところで、根が変わらなければまた同じ道を歩むしかなかったのだろう。
ξ゚听)ξ「内藤、もう一度だけ、聞かせて欲しいの。
私を……津出を、師匠として信頼してくれるかしら?」
答えは言うまでもない、これほど信頼できる師匠がどこにいるだろうか。
これほど内藤を怒り、気遣い、熱心に語りかけてくれる師匠がどこにいるだろうか。
- 64 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/28(月) 00:10:50.14 ID:v4fOGnew0
- ( ;ω;)「ありがとうだお、ツン。
僕は信じるお、どこまででも付いて行くお、だからお願いしますお」
紆余曲折という言葉そのものだろう、幾度の誘惑と拒否、そして合意に決裂を経てとうとう二人は信頼し合えた。
長かった、それは両者共に感じたことだった。
一度は結ばれた偽りの契約が、余計に感慨深く思わせる。
ξ゚听)ξ「先に言っておくわ、もう次はないわよ?
いいわね、本当に私たちは信頼したと思って間違いないのね?
隠し事はもうないわね?」
(;^ω^)「確認まで取られると心苦しいお……。
大丈夫だお、なにがあっても包み隠さずに報告するお、だから、お願いしますお」
ξ゚ー゚)ξ「よろしい」
ふふんと強気に笑って見せる津出は、本当に嬉しそうだった。
内藤の暴挙のため、限られた一カ月の時間のうち、一週間が去ってしまった。
それでも二人は焦らず、諦めなかった。
その一週間には意義があった、それを共に確信していたから。
戻る