天の川とこの世界、のようです

 広がる夜空をキャンバスに、手に持った絵筆を振った。 筆の軌跡に残った線は重なり、並び、交差する。
気の向くまま、自分の想像するまま、欲求に従って、思い描くまま走らせた腕を止めた。
目の前に出来上がった天の川は、自分が思っていたような、綺麗に輝く色ではなかった。

 いつからだろうか、自分が思い通りに絵を描けなくなったのは。
楽しい趣味の範囲だ、と自分を誤魔化しながら、もはや義務と化していた描写作業を続けていたのは。
娯楽であったはずの、絵を描くといった作業が、苦痛へと変貌してしまったのは。

 気に入った物語の一場面を切り抜いて、情景を描写した。
毎日毎日、作品は増える。 毎日毎日、自分の時間は減る。 でも、毎日毎日、皆が喜んだ。

 筆を置いて、額から右頬へとかけて刻まれた傷跡をなぞる。 目蓋の上を指が通過する。 目の疲れを感じた。
なぜ自分は、こんな趣味を持ってしまったのだっけ、と己に問いかけた。 ただの自己満足の集まりじゃないか。
堅苦しい、小さな規模の、電子の世界へと羅列された文字列へ、なぜこんなに固執しているんだろうか。

「そんなの、決まってる」

 答えは言うまでも無い。 魅了されたからに決まっているじゃないか。
一銭の価値にもならない素人小説に、自分は魅力を感じて、自分もその世界へと飛び込んだんだ。

 自分の考えた設定の上を、自分の好みに手を加えたキャラクターで、自分の思い通りに動かせる。
誰でも手軽に作者や読者になれるこの世界は楽しくて、自分の想像を文章の世界に換えて、投下した。

 超能力を使う少女の話。 醤油が言えない少女の話。 マゾヒストとサディストのレズビアンの話。
もっともっと、沢山書いた。 設定資料も、沢山描いた。 自分の作品の絵を、沢山描いてもらった。

 執筆しているときの疲労感。 間隔が開いてしまったときの焦燥感。 書き上げたときの充実感。
投下しているときの高揚感。 読者に反応をもらえたときの愉悦感。 反応が無いときの寂寥感。
全てが楽しくて。 それは絵でも同じで、自分の創作物に感情を動かしてコメントをくれる皆が好きだった。

「じゃあなんで、今は」

 こんなに自分は苦しんでいるのだろうか、と再び問いかけた。
しかし、答えは用意されていなかった。

 自分は続けたいのか、続けて欲しいと皆が望むから、応えているのか、自らの惰性で続けているのか。
ただ確実なことは、言動、行動、一つ一つに気を遣うようになり、
顔を合わせられる友人たちとのやり取りはほとんど無くなった。

 わからない。 どうして。 なんで。 自分は。 いったい。
大きなチャックのついた黄色い服を着ている彼女は、顔の構成が漢字一文字で表せるような彼は、どうして。

 もう自分に、自分の思い描く天の川が描けそうもない。
もう自分には、自分の思い通りに描き続けれる自信がない。
期待に応えなければ、観客の希望するモノを描かなければ。 こんなモノじゃ、駄目だ。

 目の前の天の川では、一年に一度だけ会うことが出来る二人に相応しくない。
もっと輝いて、もっと鮮やかで、もっと幻想的に、もっと儚く描かなければ。

「……畜生」

 何通気遣いの言葉を貰ったか、わからない。 何度反芻したかわからない。
 一人の悪意が胸を刺して、一人の厚意が胸を刺して、皆の意見が胸に突き刺さる。
 顔も知らない彼らの意見が、自分の感情に襲い掛かる。

「見えない、見えないんだ。 自分の視界で、自分の思い描く天の川が見えないんだ」

 どうしようなく、灰色に染まった世界。
降り続ける雨が、筆で描いた彩りを流していく。
そこには何も無かったかのように、ただただ真っ黒な空間に戻していく。

 リセットしてしまおうか、解放されてしまおうか。
自分の影が囁いてくる。 感情のどれが影なのか、分かりはしないけれど。

「でも」

 自分はやっぱり、続けたいのだろう、と思う。
顔も知らない電子の繋がりだけど、皆、感情へと影響するから。

 自分が楽しいと思ったから、皆に知ってもらいたくて。
 自分と皆で共感したいから、色々な出来事を紹介して。
 自分はまだ描き続けるから、皆もまだまだ書き続けて。

 この世界に関わっている人は、きっと全員マゾヒストに近いな、と思った。
それはきっと、自分だって例外じゃないだろう。

 見上げると、雨は止んでいた。
筆を握って、息を吐く。 かつての魅了された日々を思い出した。

 綺麗さっぱり洗い流されたキャンバスに、もう一度絵を描いてみよう。


 今度は、うまく描けるだろうから。

 

※この作品はナギ戦記さんの09/07/04の記事より前に投稿されたものです

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