鋼鉄の天の川

 七夕の夜を狙って帰ってくると知ったときは、その勘違いともいえるロマンチストぶりに電話口で吹きだしてしまった。
昔から彼はそうだった。
誰に見られている訳でも無いのに、いつも芝居がかった仕草で、歯の浮くような台詞を言う。
周りから笑われることも多かったが、私は彼が何よりも愛おしかった。

オム*゚ー゚)(あと少し)

 腕時計の針は七時を指していた。
ホームに湿った風が吹き、友達からセクシーじゃないと好評のロングのスカートが揺れた。

 あと十数分で彼がやってくる。
冷房の効いた待合室で待っていれば、おでこに前髪を貼り付けていなくてもいいのだが、居ても立っても居られなかった。
こうやってホームに立って彼を待つことが、彼を出迎える為の儀式の一つのように感じた。

 『東京に行くよ』。
三年前、短大卒業間近の私に彼はそう言った。
随分と唐突だと思ったけれど、彼らしいといえば彼らしかった。
彼は別れたいなら諦めるよ、とも言った。
なにも言えなくなった私は、ただ彼に抱きついて、旅立ちを祝うキスをした。
本当に大切なことは、口で言わなくても伝わるんだという彼の言葉を実践しただけ。
態度でそのことを示そうとしたが、鼻の頭まで赤くなっていたらしい私の顔で、それは無理な話だった。

 機械的なアナウンスが流れた。
汽車が前の駅を出たらしい。
まだなにも見えない線路の先から、彼の気配がするような気がした。

 彼と初めて出会ったのは幼稚園の年長組の頃だった。
新しいお友達です、と幼稚園の先生から紹介された彼は、内股で恥ずかしそうにしながら自分の名前を言った。

 年長組ともなると、遊ぶとき男女で別れることが多い。
男の子はサッカーか遊具で遊ぶのが定番だった。
男勝りの女の子は遊具で遊ぶ者もいたが、大半の女の子は室内で積み木やパズルをしていた。
教室の隅でレゴブロックをいじっていた彼に私が声をかけたのは、彼が転園してきてから割と日の浅い頃だったと思う。

 『かっこいいね』と私は言った。
教室で一人で遊んでいる男の子が珍しかったのと、彼が作り上げたレゴブロックの竜が目を引いたから、何気なくそう言ったのだ。
彼がなんて言い返したのかはもう覚えていない。
唯一覚えているのは、褒められて大喜びした彼の笑顔だった。

 それから彼は私の遊ぶグループの一員となった。
女と一緒に遊ぶのはかっこ悪いという風潮があったが、彼は気にしていなかった。
時々他の男の子からオカマと囃されることがあっても、彼は無視を貫き、私たちもそうした。

 小学校に上がってからも私たちの関係は続いた。
彼は芸術の才能があり、二年生のとき図工の時間に作った粘土細工は県のコンクールで佳作賞を取った。
次の年に、彼は最優秀賞を取ることになる。
少年野球部に入り、仲間たちと汗を流すことより、美術室に閉じこもって作品を仕上げることに没頭していた。
小学生の頃、彼の友達は私だけだった。

 中学、高校と上がるにつれて彼の才能は開花していった。
油絵の道に進んだ彼は、県内にある美術短大に入り、本格的な勉強を始めた。
彼の絵は全てが優しく、荒々しく、裏表のない実直な線で描かれていた。
目で見える以上のものが、彼の絵の中に封じ込められていた。

 私は彼とは別の短大に入り、保育士の勉強をしていた。
卒業間際、彼とつきあい始めてから六年目の、私の誕生日の夜に、彼は東京へ行くと言ったのだ。
こんな田舎で収まる人では無いと思っていたけれど、驚くなという方が無理な告白だった。

 アナウンスが聞こえ、足下に落としていた視線を線路の先に向けた。
黄色い二つの光がこちらに迫っているのが見えた。

 彼は彦星を気取りたかった。
私のことを織姫だと考えて。
最後の最後まで馬鹿だなあ。

 彼が指定した時刻まで時間があったので、近所でやっていた七夕祭りにさっきまで出向いていた。
祭りを一人で見に行っても楽しい訳が無いのだが、目的は短冊を結ぶだけだったので我慢して行った。
近所の人に見つかれば、いらない同情や慰めの言葉を貰う可能性がある。
祭りが行われている商店街の、そこら中に置かれているササに手早く短冊を結びつけると、なにも買わずに逃げるように駅へ向かった。
まだ祭りは終わっていないだろうが、もう二度とあそこには行きたくない。
少なくとも、今はそう思う。

 断続的に響く機体の足音が、徐々にその間隔を広げながらホームに滑り込んできた。
けたたましいブレーキの音が、いかにも田舎くさいディーゼルカーという感じだ。
私はこの音を子供の頃嫌っていた。
人の悲鳴みたいだと思って怖かったのだ。
本当に怖いものは、目や耳で感じるものではないということに気がついたのは、つい最近だった。

 汽車は完全に停止すると、私を出迎えるように目の前でドアを開けた。
数人のサラリーマンらしき人や、部活帰りの高校生などが降りてきて、私の横を滑り抜ける。
無人の改札を抜けると、彼らは各々の帰る場所へ散っていった。
しばらくの間ドアは開いたままだったが、ホームから人の足音が無くなると、遠慮がちな動きでドアは閉じられた。

オム*゚−゚)「さようなら」

 車体を軋ませながらゆっくりと発車していった。
置いてけぼりをくらったような感じがしたが、ドラマみたいに汽車を追いかけてホームを走ろうなんて考えなかった。
七夕の夜に別れを告げるなんて、とてもロマンチックじゃないか。
三文芝居でこの舞台を汚したくないという気持ちと、彼を出し抜いてやったという優越感が私の中で同居していた。

 短冊に書いた願いは、彼に届いただろうか。
遠ざかっていくオレンジ色の汽車が、夜の闇に消えていった。

 

 

戻る

inserted by FC2 system